エッセイ · 嗅覚アート

ブライアン・ゲルツェンロイヒター(Brian Goeltzenleuchter)。「Scents of Exile」。

Brian Goeltzenleuchter. Scents of Exile.

故郷は、ひと組の手の上にとどまりうる。

ブライアン・ゲルツェンロイヒター「Scents of Exile」:印刷された物語のパネルを添えた、壁掛けの消毒液ステーション

Keyro, 22, 2019、Azira, 52, 2019、Abena N/A 2020(シリーズ「Scents of Exile」より) · Olfactory Art Keller



故郷の匂いについての問い

2019年から、ブライアン・ゲルツェンロイヒターは難民やほかの移民に、ひとつの簡単な問いを投げかけてきた。故郷はどんな匂いがする?

答えは決して簡単ではない。ある料理を思い出す人。ある通りを思い出す人。思い出したくないものを思い出す人。ゲルツェンロイヒターは耳を傾け、メモをとり、それから調香師の仕事をする。化粧品グレードの素材で、その匂いを組み立て直す。匂いのひとつひとつが翻訳。話し言葉から物質へ、一人の記憶から別の人の鼻へ。

それから彼は、匂いを手指消毒液に混ぜる。物語のひとつひとつがステーションになる。壁掛けのディスペンサーと、語り手の話を要約した印刷パネル。ステーションには、その人のファーストネームと年齢がつけられる。プロジェクトは終わっていない。人と、匂いを加え続けている。

ニューヨークの八つのステーション

2021年6月3日から7月17日まで、マンハッタンの Olfactory Art Keller は「Scents of Exile」から八つのステーションを展示した。同じころ、別のステーションはドイツ・ブレーメンの美術館に立っていた。嗅覚アートの大規模な概観展 Smell it! の一部として。

ステーションには名前がある。Keyro, 22 は2019年のもので、エジプトのデモの汗、煙、催涙ガスを呼び起こす。Azira, 52 も2019年のもので、沸かした牛乳を呼び起こす。2020年の Abena は、年齢を記さない。

最初の二つの匂いは、両極にある。ひとつは目にしみる混沌とした通り。もうひとつはコンロの上の小さな鍋。どちらも故郷。ゲルツェンロイヒターは心地よい匂いだけを残して、つらい匂いを捨てたりしない。語り手が覚えているものを残す。

手を洗うという身ぶり

2021年、消毒液のディスペンサーはどこにでもあった。店に、オフィスに、美術館の入口に。人々は一日に何度も、考えもせずにそれを使った。ゲルツェンロイヒターは、その時代のいちばん見慣れた物を選んだ。

訪れた人が液を手のひらに押し出してこすると、匂いが肌に落ち着く。人はそれを部屋の外へ、地下鉄へ、家へ運ぶ。数時間のあいだ、ニューヨークの誰かの手が、会ったこともない人の沸かした牛乳を運ぶ。展示テキストはこれをパフォーマティブな行為と呼ぶ。訪れた人が作品の一部になる。

このプロジェクトは、よくプルースト効果と呼ばれるものに拠っている。ある匂いが、場所に結びついた鮮やかな記憶を不意に呼び起こすこと。けれどここでは、その効果が逆向きに働く。嗅ぐ人には、エジプトの記憶も、あの台所の記憶もない。匂いが先に来る。記憶は別の誰かのもの。訪れた人は、午後のあいだそれを借りる。

匂いによって証言する

移住の物語は、たいてい数字と映像で語られる。何人が、どの国境を越え、どのキャンプで暮らしているか。ゲルツェンロイヒターはそうしない。一度に一人を、いちばん私的な感覚を通して語る。

匂いは、書類のようには何も証明しない。けれど書類にできないことができる。聞き手の身体に入りこむ。一度読んだ物語は、忘れられうる。手の上の匂いはとどまる。少なくとも、次に洗うまでは。

ゲルツェンロイヒターはほかのプロジェクトでも匂いと場所を扱ってきた。たとえば「Smelling the City」では、木と鋼の匂いが二種類の家を語る。「Scents of Exile」はさらに一歩進む。私たちが持っている家を問うのではない。失われた家と、その匂いを誰がとどめるのかを問う。