エッセイ · 現代アート
クリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski)「The Reserve of Dead Swiss」
Christian Boltanski. The Reserve of Dead Swiss.
近くで見つめられることは、記憶されることのひとつのかたち。
Tate · Tate
三段の棚、42の顔
「The Reserve of Dead Swiss」、フランス語で「La Réserve des Suisses morts」は、クリスチャン・ボルタンスキーが1990年に制作したインスタレーション。42枚の肖像写真からなる。あらゆる年齢の男、女、子ども。
写真はそれぞれ額に入れられ、木の棚に置かれ、壁に立てかけられている。棚は等間隔に三段。各段に沿って、淡い布がたぐまって置かれている。柄のあるもの、刺繍のあるもの。
どの額の上端にもランプが留められ、下へ曲げられて顔をまっすぐ照らす。コードはそれぞれの留め具から床までたるんで垂れ、下の画像を横切り、下の段の写真の上を這う。
作品は室内照明なしで設置される。光は42の小さなランプだけ。部屋は暗い。顔だけが光る。
死亡記事欄の人々
ボルタンスキーは写真を撮っていない。スイスの地方紙「Le Nouvelliste du Valais」の死亡記事から切り取った。数年にわたって切り抜きを集め、そこから肖像を無作為に選んだ。
もともと粗い画像を撮り直し、頭部が実物よりわずかに大きくなるまで引き伸ばした。複写のたびに細部が失われた。目は暗い点に、口はにじみになった。追悼文はすべて落とされた。名前も、日付も、どう生きたかを記す一行もない。
残るのは顔だけ。特定の一人だったとわかるには足り、誰だったかを知るには足りない。
1993年にTateで行われた対話で、ボルタンスキーは、作品の一部は、美しい人を見ながらその遺灰を思い描くという奇妙な魅惑にあると語った。その言葉は悲しげではない。ただ率直だ。ここにあるどの顔も、すでに灰になっている。
なぜスイス人なのか
ボルタンスキーは1944年、パリがドイツの占領から解放された直後に、カトリックの母とユダヤ人の父のもとに生まれた。その作品の多くは、歴史と記憶への問いとして、しばしばホロコーストとの関わりのなかで読まれてきた。
棚の布は経帷子を、そして火葬場の幕をも思わせる。一つひとつの顔に向けられた強いランプは、尋問室を思わせる。顔の数と、繰り返される配置は、多くの観る者に大量死を連想させる。
しかしボルタンスキーが選んだのはスイス人、中立の民だった。Tateの作品解説は、この選択が歴史的な連想を弱め、より個人的で、同時により広い省察の余地を開くと記している。彼らはある出来事の犠牲者ではない。ほとんどの人が死ぬように死んだ。ありふれたかたちで。そして忘れられた。
そのありふれていることが、作品を忘れがたくする。すがる物語はない。あるのは、誰もがいつか死亡記事欄に載るという事実だけ。
底のないアーカイブ
作品は最初、日本の名古屋で、ICA名古屋(Institute of Contemporary Arts Nagoya)でのボルタンスキーの個展のためにつくられた。会期は1990年9月から11月。1992年、カルティエ財団(Fondation Cartier)がTateに寄贈した。
ボルタンスキーは、似た題名と構成要素をもつ作品をいくつもつくった。同じく1990年の「364 Dead Swiss」など。同じ要素の繰り返しの配置は、インスタレーションを、ほとんど終わりのないアーカイブの小さな一区画のように見せる。今回は42。400でも、4,000でもありえた。
reserve という語は、蓄え、そして取り分けておかれたものを意味する。これらの顔は取り分けておかれている。使い道を知らずに、ただ捨ててはいけないとだけ知って、何かをしまっておくように。後の作品、たとえば日本の島にある心臓音のアーカイブで、ボルタンスキーは写真の代わりに音で同じ考えを追った。
42の顔の前に立って、観る者は彼らのために何もできない。ただ見ることだけ。作品が求めるのは、それだけなのかもしれない。