エッセイ · 現代アート
クリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski)「Les Archives du Cœur」
Christian Boltanski. Les Archives du Cœur.
ひとつひとつの心臓音は、誰かがここにいた証。
Benesse Art Site Naoshima · Benesse Art Site Naoshima
唐櫃の小さな家
瀬戸内海に浮かぶ豊島の一角、唐櫃。水辺近くに低い家が建っている。中に絵画はない。彫刻もない。あるのは人間の心臓音の録音だけ。
これがフランスの美術家クリスチャン・ボルタンスキーによる「Les Archives du Cœur」、心臓音のアーカイブだ。彼は2008年に心臓音の録音を始めた。2010年、それを収め、人々が聴けるように、島の家が開かれた。
収集は豊島にとどまらなかった。心臓音は世界の多くの場所で録音され、ここへ送られた。大きな首都の誰か。島を訪れる人が聞いたこともないような町の誰か。すべてがひとつのアーカイブにある。国別でもなく、年齢別でもなく。
ベネッセアートサイト直島は、この作品を、録音された人々の存在の証と説明している。肖像ではない。伝記でもない。そこにいたという証だけ。
三つの部屋
家は三つの部分からなる。ハートルームにはボルタンスキーのインスタレーションがあり、中に入って耳を傾ける。レコーディングルームでは、訪れた人が自分の心臓音を録音する。リスニングルームには、保管された録音を検索し再生するためのコンピューターがある。
レコーディングルームでは、心臓音を個人的なメッセージとともに録音できる。登録料を払い、CDと小さな冊子を持ち帰る。録音はアーカイブに残る。
リスニングルームでは、名前を検索できる。何年も前に録音した自分の心臓音を探す人がいる。身近な誰かを探す人もいる。無作為に選び、ヘッドフォンの中で見知らぬ人の心臓が打つのを聴く人もいる。
三つの部屋、三つの身ぶり。聴く、残す、見つけ直す。人が来なければ、作品は完成しない。
不在の人々のアーカイブ
ボルタンスキーは生涯、記憶と喪失を扱った。名もない人々の古い写真、着古された衣服、書類のように積まれたブリキの箱。誰かを指し示しながら、それが誰かを語らない物に惹かれた。「The Reserve of Dead Swiss」のように。
「Les Archives du Cœur」は、その方法を別の素材で続ける。写真は褪せる。服は破れる。心臓音の録音は、ある瞬間のひとつの体の、正確なリズム、速さ、小さな乱れを保つ。
心臓音は、誰のものかを見分けるのも難しい。数秒聴いただけでは、男か女か、老いているか若いかもわからない。プライバシーは守られる。アーカイブは深く個人的で、同時にまったく匿名だ。
ふつうのアーカイブは、何かを証明するために書類を保管する。契約、出生、判決。ボルタンスキーのアーカイブが証明するのは、生だけ。人々が何をしたかは問わない。ただ、ある日、小さな部屋で、その心臓が打っていたことを記録する。
なぜわざわざ島まで行くのか
ボルタンスキーは、都市から遠い小さな島にアーカイブを置くことを選んだ。聴くには、船に乗り、海沿いを歩くか自転車で行かなければならない。その道のりも作品の一部。小さな巡礼。
距離は聴き方も変える。都市の美術館なら、心臓音は人の声や車の音に紛れるかもしれない。豊島では、まわりにあるのは海と風。心臓音が際立つ。
ボルタンスキーは2021年に亡くなった。アーカイブはいまも新しい心臓音を受け入れている。作品はつくり手とともに終わらなかった。通り過ぎる一人ひとりとともに育っていく。