エッセイ · 現代アート
ラファエル・ロサノ=ヘメル(Rafael Lozano-Hemmer)「Pulse Room」
Rafael Lozano-Hemmer. Pulse Room.
電球はひとつずつ心拍を抱く。次の心拍が来るまで。
Rafael Lozano-Hemmer(アーティスト公式サイト) · Rafael Lozano-Hemmer(アーティスト公式サイト)
心拍で満ちた部屋
「Pulse Room」は、ラファエル・ロサノ=ヘメルが2006年に制作したインタラクティブ・インスタレーションである。スペイン語の題は「Almacén de Corazonadas」。電球100個と300個の二つの版があり、どの電球も300ワットの白熱電球で、高さ3メートルのケーブルに吊るされ、部屋全体に均等なグリッドとして並ぶ。
部屋の一端に、心拍センサーのついたインターフェースがある。誰かがそれを握ると、コンピュータが脈を読み取り、すぐにいちばん近い電球をまさにそのリズムで明滅させる。
手を離すと、すべての明かりが一瞬消える。それから記録された拍がグリッドの最初の電球へ送られ、既存のすべての記録をひとつずつ先へ押し出す。いちばん古いものは部屋からこぼれ落ちる。
だからどの瞬間にも、部屋にあるのはもっとも新しい参加者たちの心拍だけ。100人か300人の見知らぬ人々が、一斉に、それぞれの拍で明滅する。
蝋燭をめぐる映画から
ロサノ=ヘメルは作品の源をいくつか挙げている。ひとつはロベルト・ガバルドン監督の1960年のメキシコ映画「Macario」。そのなかで飢えた主人公は幻を見る。人間ひとりひとりが燃える蝋燭である洞窟を。
そのイメージは「Pulse Room」にとても近い。電球のひとつひとつがひとつの命。だが一度きり燃える蝋燭とは違い、ここでの電球は人から人へ手渡される。
二つ目の源は、コンロン・ナンカロウ、スティーヴ・ライヒ、グレン・ブランカのミニマル音楽とセリー音楽。反復と位相を扱った作曲家たちである。何百もの異なる脈が同時に明滅するとき、部屋はまさにそうしたパターンを生む。共通の拍はない。それでも秩序がある。
三つ目は、メキシコシティの国立心臓病研究所のサイバネティクス理論。そこでは心拍が信号として測られ、読まれる。
そこにあり、そして譲る
「Pulse Room」は2006年、メキシコ・プエブラのファブリカ・ラ・コンスタンシアで開かれた「Plataforma」で初めて展示された。2007年、ロサノ=ヘメルはそれをヴェネツィア・ビエンナーレのメキシコ館へ持ち込んだ。
作品のすることは単純だ。訪れた人に、自分の心拍を体の外に、光として見せる。それからその拍を取り上げ、ほかの拍の長い列に置き、最後には消えさせる。
参加者は手を離したあとも残り、自分の電球を探すことがある。数分のあいだは、まだ見つけられる。やがてグリッドが動き、別の誰かが来て、その人の脈は光の群れに溶けこむ。
あの電球がなぜいまも灯るのか
「Pulse Room」はいま多くのコレクションに収められている。ニューヨーク近代美術館、金沢21世紀美術館、Fundación Jumex Arte Contemporáneo、モントリオール現代美術館、そしてタスマニアの Museum of Old and New Art。
この作品が残るのは、誰もが知っていながらめったに考えないことに触れるからだ。ひとつの命は完全に私的で、しかもほかのどの命ともよく似ている。どの心拍も点いて消えるだけ。それでも二つとして重ならない。
裸電球でできた作品のなかで、これはマーティン・クリードの、明かりが点いては消える部屋の隣に立つ。クリードは光に機械のリズムを与える。ロサノ=ヘメルはそのリズムを訪れた人に手渡す。
名前も日付もなく、脈だけがある記念碑。そして次に来る誰かによって、いつも書き換えられている。