エッセイ · 現代アート
マーティン・クリード(Martin Creed)。「Work No. 227: The lights going on and off」。
Martin Creed. Work No. 227: The lights going on and off.
見るものが何もないとき、私たちは部屋を見はじめる。
Tate · Tate
何もない部屋
入っていくと、白い部屋がある。絵も、彫刻も、壁のキャプションもない。天井に照明がある。やがて照明が消える。部屋は暗くなる。数秒後、明かりがまたつく。そしてまた消える。
それが作品のすべてだ。題名は、作品がすることをそのまま言う。「Work No. 227: The lights going on and off」(明かりがついたり消えたりする)。イギリスのアーティスト、マーティン・クリードが2000年に制作した。現在はテートのコレクションに収められている。
クリードはすべての作品に通し番号をつける。丸めた紙の玉、壁に貼ったテープ一片、ネオンの一本の線。どれも Work No. いくつ、だ。番号は大きいか小さいか、重要かどうかを区別しない。明かりがついたり消えたりする部屋は227番。ほかのものと並ぶ、それだけのもの。
ターナー賞 2001
2001年、「Work No. 227」はテート・ブリテンのターナー賞展で、2001年11月7日から2002年1月20日まで展示された。最終候補の四人は、リチャード・ビリンガム、マーティン・クリード、アイザック・ジュリアン、マイク・ネルソン。
クリードが受賞し、二万ポンドを手にした。その年の授与者はマドンナで、その人選自体が話題づくりだと批判された。
テートによれば、審査員はクリードの作品の手際のよさと幅の広さ、ただ一点を展示する大胆さを称え、力強く、厳密で、機知に富み、繊細だと評した。
報道はますます苛立っていった。多くの記事が、賞は一般の人から遠く、コンセプチュアル・アートと難解な言葉ばかりだと書いた。ある批評家は、がらんとした白い部屋とついたり消えたりする明かりさえあれば受賞できる、と皮肉った。
問われたクリードは、要するに、人は好きなように受けとればいいし、説明するのは自分の仕事ではない、と答えた。
部屋が作品になる
ふつうのギャラリーでは、部屋は背景だ。壁や照明を見る人はいない。見るのは壁に掛かったものだ。クリードは壁に掛かるものを取り去った。背景だけが、見るべき唯一のものとして残った。
そして、ふだんは見るのを助ける光が、見られるものになった。消えるたびに、それがそこにあったことに気づく。つくたびに、壁を、部屋にいるほかの人々を、自分自身を、あらためて見る。
作品は時間も扱う。つくことと消えることが、呼吸や時計のような一定の拍をきざむ。観る人は数えはじめ、待ちはじめる。習慣が作品になるありようは、河原温の「I Got Up」の絵はがきを思わせる。出来事はなく、繰り返しだけがある。
部屋には何も隠されていない。複雑な機械も、演出もない。あるのは部屋そのものの照明と、それにつながれたタイマーだけ。仕組みは誰にでもわかる。難しいのは、それが自分に何をもたらすかに気づくまで、十分に長くとどまることだ。
空っぽの部屋が記憶される理由
二十年以上たった今も、「Work No. 227」は、現代アートはまだアートなのかと誰かが問うたびに引き合いに出される。どちらの側にとっても、ひとつの例になった。
けれど、その部屋に立った人が覚えているのは、もっと具体的なことだ。数秒の暗闇の感覚。隣の人が黙る。誰かが笑う。誰かがじっと立って、光を待つ。
作品は持ち帰るものを何も与えない。美しい像も、眺めるための物もない。あるのは小さなことだけだ。あの部屋を出たあと、ほかの部屋の明かりに、少しだけ気づくようになる。