エッセイ · 写真
ラトーヤ・ルビー・フレイジャー(LaToya Ruby Frazier)。「The Notion of Family」。
LaToya Ruby Frazier. The Notion of Family.
場所は私たちのまわりにあるだけではない。私たちの内にある。
Aperture · Aperture
製鉄の町、ブラドック
ブラドックは、ピッツバーグの外れ、モノンガヒラ渓谷にあるペンシルベニア州の小さな町。1873年、アンドリュー・カーネギーがそこにエドガー・トムソン製鉄所を建てた。一世紀以上にわたり、ブラドックの暮らしは高炉を中心に回っていた。
やがて鉄鋼は衰退した。仕事は消えた。人口は減った。かつてにぎわった通りは空き家で埋まった。今日のブラドックは黒人が多数を占める町で、長年にわたる産業汚染と経済的な放置の跡を刻んでいる。
ラトーヤ・ルビー・フレイジャーはそこで生まれ育った。十代のころから家族を撮りはじめた。「The Notion of Family」は2001年から2014年にわたり、およそ12年の制作を経て、2014年に Aperture から本として刊行された。
三世代の女性
中心にいるのは三人。フレイジャーの祖母グランマ・ルビー(Grandma Ruby)、母、そしてフレイジャー自身。三世代、三つの体、ひとつの町。
グランマ・ルビーは写真に撮られるのを好まなかった。孫娘に、代わりに自分を撮りなさいとよく言った。フレイジャーはその通りにした。その拒絶が、彼女のセルフポートレートの出発点になり、撮影者が物語の外に立たない仕事のしかたの出発点にもなった。
フレイジャーの母は違った。写真をつくることに積極的に加わった。多くは母と娘の共同作業の成果だ。どこに立つかを選び、ともにフレームを組む。撮影者と被写体のあいだのいつもの力関係が、組み直される。写っている人々は被写体であるだけではない。共同の作者である。
写真はモノクロで、古典的なドキュメンタリー写真の伝統に連なる。けれどその伝統の使い方は新しい。ドキュメンタリーはふつう、外部の者が共同体を撮ることを意味する。ここでは撮影者が家族だ。
体に書かれた歴史
「The Notion of Family」は家族アルバム以上のものだ。そこに暮らす体を通して語られる、ひとつの場所の歴史。病、疲労、狭い部屋、古い壁。すべてが、衰退する工業の町の痕跡。
グランマ・ルビーの継父は、生涯エドガー・トムソン製鉄所で働いた。炉を解体しては築き直し、こぼれた金属とスラグを片づけた。グランマ・ルビーの世代は、ブラドックがまだ栄えていたころに育った。フレイジャーの世代は、町が衰えたあとに育った。
2010年、ピッツバーグ大学医療センター(University of Pittsburgh Medical Center)はブラドックの病院を閉鎖し、より豊かな地域へ移した。フレイジャーは病院の建物が取り壊されるのを撮った。すでに製鉄所を失った町にとって、病院を失うことはもうひとつの大きな喪失だった。写真の中では、瓦礫の山が人の顔の隣に立つ。
だからこのシリーズは、家族より広い問いを投げかける。共同体への帰属について。去っていく場所に対する機関の責任について。アメリカの小さな町に残る人種差別と経済衰退の遺産について。
このシリーズが残りつづける理由
2022年、ワシントンのナショナル・ギャラリー(National Gallery of Art)が「The Notion of Family」を収蔵した。ブラドックの家族アルバムが、国のコレクションに入った。それは確かな転換だ。公式の歴史からふだん外される人々の物語が、いまは古典の傍らに保存されている。
自分の家族を撮ることは古い伝統だ。サリー・マンはヴァージニアの農場で子どもたちを撮った。そこでは自然と子ども時代が絡み合う。フレイジャーはその伝統を、まったく異なる場所へ持ち込む。土と空気に高炉の跡が刻まれた工業の町。家族が、消されることに抗う方法である町へ。
「The Notion of Family」が示すのは単純なことだ。歴史は本の中だけにあるのではない。家に、肺に、撮られたくなかった祖母の写真の中にある。