エッセイ · 現代アート

オラファー・エリアソン「Yellow versus Purple」。

Olafur Eliasson. Yellow versus Purple.

色はそこにあるのではない。色は起こる。

オラファー・エリアソン「Yellow versus Purple」:暗い部屋に吊られた色フィルターガラスの円盤が、壁に黄と紫の光を落とす

Tate · Tate



ガラスの円盤とランプ

「Yellow versus Purple」は暗い部屋に設置される。中央に、直径75センチの透明な黄色いガラスの円盤が吊られている。天井のモーターにつながる鋼のケーブルから下がり、ゆっくり回る。その向かいで、三脚に据えた投光器が、円盤と背後の白い壁へまっすぐ広い光を投げる。

円盤もランプも床から140センチ、立った人の胸の高さにある。何も隠されていない。ランプも三脚もワイヤーもモーターも見える。作品は装置の全体であり、それが壁に生むもの。

オラファー・エリアソンは2003年にこれを制作した。同じ年、テートはコレクション形成のために設けられた Outset/Frieze Art Fair の基金を通じてこれを購入した。記録に並ぶのは、色効果フィルターガラス、スポットライト、三脚、モーター、ワイヤー。寸法は可変。

黄色い影、紫の跡

円盤を通った光は、壁に黄色い影を落とす。円盤が回るにつれ、影は形を変える。円から楕円へ、そしてまた円へ。満ち欠けする月のように、ただずっと速く。

同時に、ガラスの特殊なコーティングが光の一部を反射する。その反射が紫の形となって壁を動き、部屋を周回するかのよう。それもまた円盤の角度で形を変え、円盤から壁までの距離で大きさを変える。

題は競い合いをほのめかす。黄と紫は色相環で向かい合う。補色。黄を見つめてから白を見ると、目は紫の残像を見る。この部屋で、二つの色は互いを打ち負かす必要はない。現れるために互いを必要とする。

訪れた人は作品の中を歩いてよい。光の中に踏み込めば、服にも顔にも手にも黄と紫をまとう。体が二枚目の壁になる。

ベルリンの古い車庫

1967年生まれのエリアソンは、デンマーク系アイスランド人の芸術家。1989年から1995年までコペンハーゲンの王立芸術アカデミーで学び、学生のうちから、芸術と科学のあいだにある光と色の作品をつくりはじめた。1995年にベルリンへ移った。

「Yellow versus Purple」はそこでつくられた。古い鉄道の車庫の中のスタジオで、トーマス・デマンドやタシタ・ディーンらほかの芸術家と共有していた。色効果ガラスは彼自身の発明ではない。ドイツの会社から買った既製品だった。

それ以前、1997年に彼は「Room for one colour」をつくっていた。並んだ照明が部屋を黄色で満たし、ほかの色を奪われた目が補って、隣の部屋が紫がかって見える。「Yellow versus Purple」はその考えを、動く、より小さな物へと持ち込む。

スクリーンとしての観者

2003年は、エリアソンがテート・モダンのタービン・ホールに人工の太陽をかけた年でもある。「The weather project」。およそ二百個の黄色い単一周波数ランプで。二つの作品は規模がかけ離れている。ひとつは発電所のホールを満たす。もうひとつは円盤とランプ。どちらも同じことを問う。私たちは何を見ているのか、そのうちどれだけを目が補っているのか。

批評家ホルガー・ブローカー(Holger Broeker)は、こうした作品では、訪れた人は見る者として参加するだけではないと述べた。部屋を動きまわるうちに、光を受ける面にもなる。主体であり、同時に客体。

2016年のテートの展示解説は、ひとつの問いで始まる。私たちが見ていないとき、色は存在するのか。作品は言葉では答えない。ランプを灯し、円盤を回し、紫など何もない場所に紫が現れるのを人に見せる。