エッセイ · 嗅覚アート

シセル・トラース「RE_________」

Sissel Tolaas. RE_________.

空欄は、招きでもある。

シセル・トラース「RE_________」:解説の代わりに壁に記号が並ぶ、匂いの展覧会

Institute of Contemporary Art, University of Pennsylvania (ICA Philadelphia) · Institute of Contemporary Art, University of Pennsylvania (ICA Philadelphia)



二つの文字と、ひとつの空欄

2021年秋、オスロのアストルップ・ファーンリ美術館(Astrup Fearnley Museet)で、シセル・トラースの個展「RE_________」が開かれた。これまでで最大規模の彼女の作品の展示。キュレーターはソルヴェイグ・オヴステボ(Solveig Øvstebø)。展示は屋内外の7つの空間に広がった。

トラースはノルウェーに生まれ、ベルリンに暮らす。30年以上にわたり、匂いを言語として、データの一形態として、芸術の素材として研究してきた。作品はヴェネツィア・ビエンナーレ、テート・モダン、ニューヨークの MoMA で展示されている。

題名は未完。二つの文字のあとに、下線が並ぶ。美術館によれば、空欄は多くの言葉へと開かれうる。remember、reveal、revive、regrowth、ほかにも。題名は書きかけの文で、来場者はその続きを書くよう招かれる。

現在の考古学

トラースは展示の各部分を、作品ではなく situation(状況)と呼ぶ。ひとつの situation は、見つけられ、再構成され、分類され、番号を振られたひとつの匂い、あるいは匂いの群れ。作品は会場の建築に合わせてつくられ、部屋ごとに匂いがそれぞれの仕方で現れる。

出どころはほぼすべての大陸と、さまざまな社会の場に及ぶ。人の皮膚。お金。金属。汗。恐れ。海。種。溶ける氷。声に出して読むと、その一覧はパレットというより目録に聞こえる。心地よいから選ばれた匂いはひとつもない。

美術館はこの手法を、現在の嗅覚の考古学と呼んだ。考古学はふつう、過ぎ去ったものを掘り出す。トラースが掘り出すのは、いま私たちのまわりにあって、誰もとっておかないもの。今日の通りの匂い、流通している紙幣の匂い、消える前の氷の匂い。

一覧のなかの恐れは比喩ではない。トラースは「Fear」のシリーズのように、何年も怯えた人々の汗と向き合ってきた。「RE_________」では、恐れは種や海水と並び、アーカイブのなかのほかの物と同じひとつの物として置かれる。

380,000ドルの匂い

2022年9月、展覧会はフィラデルフィアのペンシルベニア大学現代美術館(ICA)へ巡回し、9月16日から12月30日まで開かれた。ICA の館長ゾーイ・ライアン(Zoë Ryan)が、その建物に合わせて構成し直した。アメリカで初めての、トラースの作品の大規模な展示だった。

入口で、来場者はそれぞれ小さな小瓶を受け取った。中身は現金の匂い。正確には380,000ドルの匂いで、トラースがこの展示のためにつくったもの。来場者はそれを携えて部屋をめぐった。

この細部は可笑しく、そして可笑しくない。お金は日々の暮らしで最も抽象的なもの。数字、約束、画面上の一行。けれど現金は匂う。紙、インク、金属、それを数えた手の汗。トラースはお金を物質へと戻し、誰にでも等しく手渡す。

解説の代わりの記号

各作品の横にあるはずのおなじみの解説はなかった。代わりに、それぞれの situation の近くに記号が置かれた。来場者はまず嗅ぎ、まず推し量り、何を嗅いだのかはあとで知る。フィラデルフィアでは、記号の手がかりが2階の最後の部屋で待っていた。

これは美術館のふだんの働きを逆にする。私たちは解説を読み、それから見る。言葉が先で、感覚があと。トラースは、寄りかかる言葉なしに鼻だけを働かせる。当たる人もいる。多くは外れる。どちらも作品の一部。

手がかりを読むと、多くの人が、感じたものと書かれたものの隔たりに驚く。その隔たりこそ、RE のあとの空欄。匂いはいつも名前より先に届く。トラースはその間合いを、私たちが気づけるほど長く引き延ばすだけ。