エッセイ · 嗅覚アート

コーリーン・スミス(Cauleen Smith)「The Wanda Coleman Songbook」

Cauleen Smith. The Wanda Coleman Songbook.

歌と映像と、丘の匂いで思い出される街。

コーリーン・スミス「The Wanda Coleman Songbook」:壁を覆う四面の映像インスタレーション、薄暗い部屋のラグとソファ


腰を下ろす部屋

2024年1月19日から3月16日まで、ニューヨークの 52 Walker で、コーリーン・スミスの「The Wanda Coleman Songbook」が展示された。部屋はふつうのギャラリーのようではなかった。ラグがあった。ソファがあった。来場者は座って、とどまるよう招かれた。

四面の映像が床から天井まで流れ、壁を覆った。映っていたのはロサンゼルス。ヴィンテージカー、低い庭付きアパートの棟、カラスのとまる電線、夕暮れの海、そして丘の上のグリフィス・パーク。

片隅にはターンテーブルがあり、展示のためにつくられた二色の12インチ・レコードがのっていた。来場者はどこにでも針を落とせた。部屋の音は決して固定されなかった。直前に入ってきた人しだいだった。

そして空気には淡い香りが漂っていた。街の真ん中にある丘陵の大きな公園、グリフィス・パークの植生から着想を得たもの。香りは片隅にとどまらなかった。気候のように部屋を満たした。

ワンダ・コールマン、ワッツの詩人

ワンダ・コールマン(Wanda Coleman)は1946年にロサンゼルスに生まれ、2013年に亡くなった。街の南にあるアフリカ系アメリカ人の地区ワッツで育ち、Studio Watts Workshop とつながりがあった。詩と散文の本をおよそ二十冊残している。

彼女の詩は、人種差別、貧困、よそ者である感覚を扱う。声は力強くリズミカルで、ブルースに近い。LA Blueswoman と呼ばれ、多くの人がこの街の非公式の桂冠詩人とみなしている。

スミスはコールマンの詩に挿絵をつけるのではない。音楽家たちに、音楽を通して詩を読んでもらった。Kelsey Lu、Shala Miller、Jamila Woods、Standing on the Corner、Jeff Parker、Ruby Parker、Meshell Ndegeocello がそれぞれ一篇の詩を取り、一曲をつくった。それらの歌が、部屋のレコードに収められている。

songbook という言葉がよく合う。詩の本から書き直された歌の本。それがひとつの部屋の中に置かれる。

十六年ののちに帰る

1967年生まれのコーリーン・スミスは、アーティストであり映像作家だ。ロサンゼルスを離れ、テキサスとシカゴで十六年暮らし、そして戻った。作品はその帰郷から生まれた。

古い街に帰る人は、二つの街を同時に見る。目の前の街と、記憶の中の街。スミスの映像は両方を運ぶ。それは今日のロサンゼルスでありながら、思い出すように選ばれている。一列の木、ひとつの街角、ある午後。

コールマンの詩がもうひとつの層を加える。絵葉書には載らない、ワッツの、周縁に生きる人々のロサンゼルス。スミスはどちらがより真実かを言わずに、二つを並べる。

The Brooklyn Rail の評者は、この作品を街への恋文と呼んだ。コールマンの詩と同じように、悲しみもたっぷり含んだ恋文だ。

なぜ匂いなのか

映像は街を見せる。音楽はコールマンの声を呼び戻す。では、ここで匂いは何をするのか。

おそらくこうだ。匂いは、ニューヨークに実際に存在する、ロサンゼルスの唯一の部分。映像は壁の上の光で、音はスピーカーからの振動。匂いは空気中の分子で、来場者の体に入ってくる。それはグリフィス・パークを表象するのではない。そこにいるという感覚の、ひとかけらそのものだ。

匂いはまた、部屋をスクリーンではなく場所に変える。ソファに座り、足をラグにのせ、乾いた草を吸い込み、詩を歌う声を聴く。それは街を眺めるやり方ではなく、街に暮らすやり方だ。

ほかのアーティストたちも街を嗅ごうとしてきた。スミスはそれを軽い手つきで行う。香りは主役ではない。ほかのすべてが息をするための空気だ。