エッセイ · 写真
石内都「ひろしま hiroshima」。
Ishiuchi Miyako. ひろしま hiroshima.
どの衣服にも、かつて中に誰かがいた。
Museum of Anthropology at UBC · Museum of Anthropology at UBC
2007年の依頼
2007年、編集者の山本純司は、本のために広島平和記念資料館の物を撮るよう石内都に依頼した。資料館は、1945年8月6日の原爆投下の後に残された物を収蔵している。その中には、あの日人々が身につけていた衣服や持ち物がある。
石内は引き受けた。その二年前、彼女は母の遺品をめぐるシリーズ「Mother's」を完成させていた。広島はまったく異なる次の一歩だった。今度は見知らぬ人々の持ち物であり、もはやひとつの家族には属さない喪失だった。
本は2008年に刊行された。けれど石内は止まらなかった。その後の年月も資料館に通い続けた。シリーズの年記は2007年から現在まで。
布を透る光
石内の方法は簡素だ。一点ずつをライトボックスに置く。写真家がフィルムを見るのに使う、下から照らされた台である。光は薄い布を透る。織り目が現れる。裂け目、焼け跡、年月で薄くなった部分が、すべて光と影の領域になる。
衣服はほとんど透明に、重さなく、浮かんでいるように見える。ワンピース。ブラウス。一組の手袋。多くは原寸大かそれ以上で焼かれ、見る者が一針ずつの縫い目を見られるほどだ。
これは、記録のために物を平らに均一な光で撮る、ふつうの博物館の資料写真ではない。石内はポートレートを撮るように撮る。一点ずつが、ひとりの人のように、それだけで見つめられる。
色と、やわらかな文字
広島のよく知られた像は白黒だ。平らになった都市、石に残る影、きのこ雲。それらの像は必要だが、同時に惨禍を歴史の距離に置き、遠く、冷たいものにもする。
石内はカラーで撮る。色は物を現在へと引き寄せる。見る者は、自分の母や祖母が着ていたかもしれない布の柄に気づく。ブリティッシュコロンビア大学人類学博物館は、このシリーズを展示した際、写真は深い傷の証言であると同時に、一人ひとりの生の美しさと複雑さを垣間見せるものだと述べた。
題名もまたひとつの選択だ。石内は Hiroshima を、ふつうの漢字ではなく、ひらがなで「ひろしま」と書く。ひらがなはやわらかな文字であり、歴史的に日本の女性の書くものと結びついてきた。彼女は作品に女性の視点を担わせたかった。選んだ品の多くは女性の衣服で、閃光の瞬間に身体に触れていたものである。
広島からバンクーバーへ
2011年10月から2012年2月まで、バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学人類学博物館(Museum of Anthropology at UBC)は、このシリーズから48点の写真を展示した。「ひろしま hiroshima」が日本の外で発表されたのは、これが初めてだった。
美術館ではなく人類学博物館がこれを選んだことは、注目に値する。それは写真を二つの領域のあいだに置く。芸術と、人が残した物を通して人を研究する学問のあいだに。
自身の母の遺品をめぐるシリーズ「Mother's」と並べると、「ひろしま hiroshima」は一貫した方法を示す。石内は、物が人を抱えていると信じている。母の場合、それはひとりだった。広島では何万人にのぼる。それでも彼女は、一人ずつ見つめる。
このシリーズは原爆投下を語り直さない。ライトボックスの上で光る小さなワンピースの前に見る者を立たせ、あの朝それを着たのは誰だったのかと思わせる。