エッセイ · 写真

米田知子「Scene」

Tomoko Yoneda. Scene.

場所は覚えていない。覚えているのは、その名前だけ。

米田知子「Scene」。かつての戦場で撮られた静かな風景

Ikon Gallery · Ikon Gallery



風景と題

「Scene」は、米田知子が2000年に始め、今も続けるカラーのシリーズ。どの写真もありふれた風景だ。広がる砂浜。まばらな林。街の外れの緑の丘。画面の中に、何か特別なことを示すものはない。

そこで見る人は題を読む。米田の題はしばしば二つの部分をもつ。情景を名指す一語と、それがどこかを告げる一行。浜は、ノルマンディーのソード・ビーチ。1944年のノルマンディー上陸作戦で使われた海岸のひとつだとわかる。撮影は2002年。林は1916年のソンムの戦いの舞台、デルヴィルの森。これも2002年。2000年に撮られたベルリンの丘は、連合軍の爆撃が残した瓦礫でできている。

写真は変わらない。変わるのは見え方だけ。言葉は像にできないことをする。表面の下に、時間の層を開く。

撮る前に読む

米田は偶然これらの場所にたどり着くのではない。場所ごとに土地の歴史を読み、その場所の古い写真や挿絵を調べ、いまそこに暮らす人と話す。写真は最後に来る。

だから、どこに立てばよいかがわかる。視点は、兵士たちが見ていたものと重なるかもしれない。何もない一角は、かつて塹壕が走っていた場所かもしれない。見る人はこうした細部を知らなくてもよい。けれどそれが、どれほど軽やかに見える一枚にも重みを与える。

「Scene」の場所は広く散らばる。フランス、ドイツ、太平洋のサイパン、北アイルランド。20世紀の紛争の地であり、いま人々が同じ土の上で泳ぎ、歩き、植えている場所。

自然が覆うとき

戦争写真の多くは、戦争のさなかに撮られる。煙、廃墟、走る人々。「Scene」は数十年遅れてやって来る。草が生え戻り、木が伸び、砂が波にならされたあとに撮る。

その遅れこそが主題だ。自然と日々の暮らしが、ゆっくりと傷を覆う。それはよいことだ。人は生き続けなければならないから。けれどそれは、過去を忘れやすくもする。米田の写真はその二つのあいだに立つ。草に異を唱えはしない。草が何の上に生えているかを思い出させるだけ。

2025年、「Scene」はIkon Galleryの企画により、ロンドンの大和日英基金で「Faultlines」の中で展示された。韓国の非武装地帯の植物を撮った「DMZ」と並んで。題が名指すのは、無傷に見える地面の下を人知れず走る亀裂だ。

二つの場所のあいだの写真家

米田知子は1965年、兵庫県に生まれた。1991年にロンドンの王立芸術大学院(Royal College of Art)で写真のMFAを修了し、以来ロンドンに暮らす。作品は2007年のヴェネツィア・ビエンナーレ、2018年の上海ビエンナーレに出品された。

「Scene」と並んで、米田は記憶をめぐるもうひとつのシリーズを、ごく近い距離でつくっている。「Between Visible and Invisible」。歴史上の人物の眼鏡越しに撮ったモノクロ写真だ。一方は地面を見渡し、もう一方は頁を見下ろす。どちらも同じことを問う。私たちが見ているもののなかに、過去はどれだけ残っているのか。

「Scene」は答えない。美しい風景を差し出し、次に名前を差し出す。その二つのあいだが、見る人の立つべき場所だ。