エッセイ · 写真
石内都「Mother's」。
Ishiuchi Miyako. Mother's.
人は去った。物がその人のかたちを留めている。
Japan Pavilion, La Biennale di Venezia · Japan Pavilion, La Biennale di Venezia
母が亡くなる一年前
石内都は1947年に群馬県で生まれ、1970年代後半から、育った港町・横須賀を写した粒子の粗い白黒写真で知られるようになった。その後、身体へと向かった。手、足、人の肌の傷跡。
2000年、彼女は当時84歳の母を撮りはじめた。肌を間近から、薄くなった髪を、台所の事故で母の身体のおよそ三分の一を覆った火傷の痕を撮った。肌の肌理が見えるほどの、ごく近い写真だった。
やがて母は亡くなった。石内は、想像しうるどんなものも超えた悲しみを語った。そして撮りつづけた。けれど今度は、撮るべき身体が残っていなかった。物だけが。
人の代わりに物を
「Mother's」は母が遺したものをめぐるシリーズである。使いかけの口紅。下着。靴とスリッパ。擦り切れた手袋。入れ歯。まだ髪の絡まったヘアブラシ。
これらは最も私的な物だ。ふつう、死の後には捨てられるか、目の届かないところへしまわれる種類の物。石内はそれを光のもとへ持ち出す。ポートレートを撮るように、一点ずつ単独で、近くから撮る。
シリーズの多くの写真はカラーである。長く白黒と結びつけられてきた石内が、初めてカラーを用いた大きなシリーズだった。色は物を近づける。使った口紅の色、褪せた布の色、擦り切れた革の色。それらはもはや記録ではない。まだ温かいものだ。
写真を見ながら、見る者はゆっくりとひとりの人を組み立て直す。毎日口紅を引いていた女性。その靴で遠くまで歩いた人。毎朝髪を梳いていた人。顔のないポートレート。
自分の人生を生きた女性
ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館は、このシリーズを、戦中と戦後を通して自立したひとりの人間として自分の人生を生きようとした女性のポートレートとして紹介した。彼女を通して、作品は日本の女性のひとつの世代全体と、その立場の変化に触れる。
だから「Mother's」は私的な喪だけではない。これらの物は、特定の歴史の瞬間における、特定の生の痕跡である。口紅、靴、ランジェリー。どれもが、戦後の日本の女性がどのように自分のかたちを選んだかについて何かを語る。
石内は母を美化することもしない。写真は追悼の辞ではない。生きているうちに見終えていなかった人を、ゆっくりと丁寧に振り返る、ひとつの見方である。
ヴェネツィア、2005年
2005年、「Mother's」は第51回ヴェネツィア・ビエンナーレで日本を代表した。正式な題は「Mother's 2000-2005: traces of the future」。コミッショナーは笠原美智子。展示は6月から11月まで続いた。
館内には38点の写真と、壁一面を覆う映像プロジェクションがあった。開幕前、二十年にわたり床を覆っていたカーペットが剥がされ、大理石と、中央におよそ二メートル四方の開口部が現れた。建物の下の空間を見下ろす穴である。石内はその開口部にモニターを置いた。来場者は、井戸を、あるいは墓をのぞくように、頭を垂れて見下ろさねばならなかった。
九年後の2014年、石内はハッセルブラッド国際写真賞を受賞した。「Mother's」の後、彼女は同じまなざしを見知らぬ人々の持ち物へ向けた。広島の原爆犠牲者の衣服へ。
「Mother's」は、簡素で忘れがたい考えを残す。人は去る。けれど、その物は人のかたちを留める。見るのに十分な辛抱強さがありさえすればいい。