エッセイ · 現代アート
ルイーズ・ブルジョワ「Cell (Eyes and Mirrors)」
Louise Bourgeois. Cell (Eyes and Mirrors).
見る人は檻の外にとどまる。入るのは視線だけ。
立方体の檻
「Cell (Eyes and Mirrors)」は立方体の形をした部屋で、縦横高さそれぞれ2メートルを少し超える。天井と二つの壁は鉄の金網を編んだもので、鉄の棒でつながれ、ところどころ蝶番がつく。残る二つの壁は溶接した鉄の格子で、大きな正方形のガラスをはめている。大きすぎる窓のように。いくつかの升目は空いている。
天井の中央には、蝶番のついた円形のパネルが大きな丸い鏡を支えている。パネルは回り、鏡は内部の違う部分を映す。
ルイーズ・ブルジョワはこの作品を1989年から1993年にかけてつくった。ロンドンのテートは1994年、American Fund for the Tate Gallery からの寄贈としてこれを受け入れた。テートの記録は素材を鋼、石灰岩、ガラスとしている。
目と鏡
中心には、二本の鋼の桁の上に置かれた、粗い灰色の石の塊がある。そこから大きな一対の目がのぞく。磨いた黒大理石の二つの眼球が、うつろに外を見つめている。テートによれば、これは1984年の作品「Nature Study (Velvet Eyes)」ののちの版であり、ブルジョワはその後も大理石の目を何対も彫った。
目のまわりには、あらゆる大きさの鏡がある。小さな鏡は背後の金網に掛かる。両脇には、大きな楕円の鏡と小さな丸い鏡が、背の高い古風な木と金属のスタンドに立つ。正方形の鏡が一枚、床に立てかけてある。
鏡のなかでしか見えない細部が一つある。石の裏側に、ブルジョワは乳房のようなふくらみを彫った。見る人はその面を直接見ることができない。それは映り込みとしてだけ現れる。テートはこれを、目が女性のものであるしるしとして読む。
その結果は、映り込みの密な網である。鏡が鏡を、目を、見る人を映す。どの視線もまっすぐでも単純でもいられない。
「Cells」
この作品は、ブルジョワが1989年に始めた一連のインスタレーション「Cells」に属する。たいていは回収した建築の素材でつくられる。古い扉、窓、金網。そこに拾った物や彫刻の断片が加わる。
ブルジョワは、つまるところ痛みこそが自分の仕事だと語り、「Cells」はさまざまな種類の痛みを表すと言った。身体の、感情と心理の、精神と知性の痛み。感情はいつ身体になるのか、そしてその逆は、と彼女は問うた。始まりのない円のように。
「Cells」は一つの構造を共有する。見る人はたいてい入ることを阻まれ、けれど覗くようには招かれる。身体は外にとどまり、目は格子を抜ける。見ることと見られること。ブルジョワが版画から、のちの巨大な蜘蛛「Maman」まで、生涯立ち返った位置である。
鏡の勇気
鏡は虚栄と受けとられることがある。ブルジョワは、それがすべてではないと言った。彼女にとって鏡を見るには、自分を見つめ、自分に向き合う勇気が要る。現実は新しい角度ごとに変わる、とも彼女は言った。
この部屋で、石の目は、自分自身が他人に見られる物になる空間に閉じこめられている。見る人は観察しに来て、やがてガラスのなかに自分を見る。見ている自分を見る。見る者と見られる者が、数秒のうちに何度も入れかわる。
だからこの作品は重みを失わない。特定の物語は語らない。近づく誰をも、出口のない見ることの回路に引きこむ部屋を組み立てる。