エッセイ · 現代アート
ルイーズ・ブルジョワ「Maman」
Louise Bourgeois. Maman.
手の仕事を通して思い出される母。
Guggenheim Museum Bilbao · Guggenheim Museum Bilbao
川辺の蜘蛛
ビルバオ、グッゲンハイム美術館近くの歩道橋のそばに、高さほぼ10メートルの蜘蛛が立っている。収蔵記録では927 x 891 x 1023 cm。胴は青銅にステンレス鋼、腹の下には大理石の卵の袋が下がる。
八本の長い脚。針のように尖り、曲がっている。地面に触れるのは八つの小さな点だけで、重い塊全体がつま先で立っているように見える。通りがかる人は脚のあいだに入り、胴の真下に立って、卵を見上げることができる。
作品は1999年のもの。ビルバオの一体は2001年の鋳造で、六体のエディションと作家保存版一体のうちの二番目。「Maman」のほかの鋳造は多くの都市に立ってきた。そのたびに違う背景を背にして。美術館、広場、川岸。
「Maman」が初めて公に現れたのは2000年、テート・モダンとの関わりのなかだった。ルイーズ・ブルジョワが幕を開けたタービン・ホールの Unilever Series の一部として。以来、この蜘蛛は彼女の最もよく知られた像になった。
名前と、ひとつの仕事
Maman はフランス語で母。ブルジョワは蜘蛛に抽象的な題を与えなかった。まっすぐに名づけた。グッゲンハイム・ビルバオはこの作品を、織り手だった母へのオマージュと記す。
フランスのブルジョワ家はタペストリーを修復していた。古い壁掛けが届き、破れたところをひらき、糸を一本ずつつなぎ直す。鋭い目と確かな手を要する、根気のいる繰り返しの仕事。ブルジョワはその枠のあいだで育った。
蜘蛛も同じように働く。巣を紡ぎ、巣が破れれば、また紡ぐ。不平も言わず、去りもしない。そう見れば、彼女の選択は奇妙ではない。母性の象徴を探していたのではない。母と同じ仕事をする生きものを探していた。
美術館はこの像の二つの面にも触れる。蜘蛛は守り手であり捕食者であり、強く、そしてもろい。卵嚢は胴の下に危うげにとりつけられている。いちばん大切なものが、いちばん落ちやすい場所に置かれている。
蜘蛛の下に立つ
多くのパブリック彫刻は遠くから見られるためにつくられる。「Maman」は違う。人をなかへ招く。胴の下で、見る人は小さくなる。大人の横に立つ子どもの比率に。
安心する人がいる。大きな屋根、八本の柱、日陰。落ち着かない人もいる。じっと立つ動物、いつ動くか誰も知らない。ブルジョワは見る人のかわりに選ばない。どちらの感じ方も本当で、しばしば同時にやって来る。
素材もその役を担う。青銅は暗く、表面は樹皮か皮膚のように粗い。大理石の卵はなめらかで白っぽい。硬さと柔らかさ、暗さと明るさが、一つの身体に並べて置かれている。
ビルバオの雨は蜘蛛の背に落ち、一本一本の脚を伝って流れる。日が出ると、八本の脚の影が石の上に伸びる。屋外の生きもののように、作品は時刻とともに変わる。
「Maman」が残る理由
ルイーズ・ブルジョワが「Maman」をつくったのは、九十歳近いころだった。生涯、彼女は子ども時代の記憶とともに仕事をした。家、家族、言われなかったこと。同じ年月に彼女が組み立てた「Cell」の部屋のように。蜘蛛は、この大きさに至るまで、さまざまな大きさで何度も立ち返った像だった。
「Maman」が記憶に残るのは、自らを説明しないからである。胴には文字がなく、名前だけがある。織り手の母を知る人は、そこにやさしさを見る。知らない人にも巨大な動物が見え、見上げずにはいられない。
母についての作品に、母はいない。あるのは、彼女が残した仕事だけ。