エッセイ · 写真
深瀬昌久(Masahisa Fukase)。「Family」。
Masahisa Fukase. Family.
集合写真を撮るたび、アルバムは誰かを失う。
© Masahisa Fukase Archives、Michael Hoppen Gallery(ロンドン)提供 · Aperture
小さな町の写真館
深瀬家は、北海道北部の小さな町、美深で写真館を営んでいた。当時どの日本の町にもあった写真館である。婚礼写真、卒業写真、大切な節目の肖像を撮りに人が来る場所。深瀬昌久はその中で、暗室の薬品と描かれた背景幕に囲まれて育った。
彼は家業を継がなかった。東京に出て写真を学び、同世代で最も大胆な写真家の一人になった。だが1971年から、家族が集まるたびに実家の写真館へ戻り、全員を撮りはじめた。
撮り方は、写真館が客を撮るのとまったく同じだった。背景幕の前に並び、レンズに向き、きちんとした身なりで。記念写真である。翌年もまた一枚。シリーズは1989年まで続き、「Family」、日本語では「家族」と呼ばれる。
家族写真の中の他人
一見すると、写真はまったく普通に見える。父の助造、母のミツエ、きょうだい、親戚。よく見ると、何かがずれている。
1970年代の写真の多くで、親戚のあいだに裸や半裸の女性が立っている。家族ではない。家族とは何の関係もない。深瀬は冗談として、意図的なずれとして、彼女たちを画面に入れた。
彼女たちの存在は、このジャンルの決まりを壊す。家族写真は真面目なものだ。居間に飾り、親戚に送る。その真ん中に裸の他人がいると、見る人は問わずにいられない。家族写真とは何か。誰が写ってよいのか。この記念写真は、いったい何を記念しているのか。
同じ頃、深瀬は北海道の雪の中の鴉を撮った「Karasu」を制作していた。同じ故郷、同じ時期の二つのシリーズ。一つは明るい写真館での遊び、もう一つは屋外の闇。
葬儀の写真
1987年、父の助造が肺炎で亡くなった。葬儀のさなか、深瀬はもう一度家族を集めた。喪服のままの者もいた。そして、いつものように集合写真を撮った。
ひとつだけ違いがあった。父が立つはずの場所に、深瀬は1974年に撮った父の肖像写真を置いた。死んだ人が、写真として自分の葬儀の写真に写っている。
この瞬間に、シリーズ全体がその正体を見せる。はじめから、これらの記念写真は一種のメメント・モリ、死を思い出させるものだった。年に一度撮ることは、年に一度数えることだ。家族は老い、去り、死ぬ。アルバムは一言の注釈もなく、そのすべてを記録する。
写真館が閉じたとき
1989年には、家族はばらばらになっていた。弟は離婚した。妹は遠くへ移った。母は介護施設に入った。八十年ほど続いた家族の写真館は閉じた。背景幕の前に立つ人はもういなかった。背景幕もなかった。
シリーズはそこで終わる。1991年、二冊の本が出版された。「Family」と、父についての別の一冊「Memories of Father」(『父の記憶』)である。
振り返れば、「Family」は写真そのものについての作品だ。八十年のあいだに数えきれない他の家族を撮ってきた小さな町の写真館が、最後に自らの家族の解体を記録する。残すために撮られる記念写真が、失われていくことをくっきりと記録してしまう。
それから間もない1992年、事故によって深瀬は二度と仕事ができなくなった。「Family」はほとんど、写真という仕事への、そしてはじめてレンズ越しに見ることを学んだ家への別れである。