エッセイ · 写真
深瀬昌久(Masahisa Fukase)。「Karasu」。
Masahisa Fukase. Karasu.
鴉を見る。写真家が見える。
Michael Hoppen Gallery · Michael Hoppen Gallery
結婚の終わり
深瀬昌久は1934年、日本の北、北海道中川郡の小さな町、美深に生まれた。1956年に日本大学芸術学部写真学科を卒業し、1968年にフリーランスの写真家となった。
それまでの年月、彼の写真に最も多く登場した女性は妻の鰐部洋子だった。1970年代半ばに結婚が破綻したとき、深瀬が失ったのは伴侶だけではなかった。写真の中心となる被写体も失った。
1975年、彼は新しいシリーズを始めた。今度はモデルがいない。鴉だけ。制作は1982年まで続き、日本語のタイトル「鴉」(Karasu)、英語では「Ravens」として知られるようになった。
鴉、雪、闇
写真の多くは、故郷の北海道や雪に覆われた町で撮られた。鴉はあらゆる姿で現れる。電柱にとまる一羽、空に散る群れ、屋根をかすめる黒い影、そして死んだ鳥も。
そのまわりには別の光景がある。夜の街路、逆光の人影、顔のない形。どれもとても暗く焼かれている。粗い粒子、硬いコントラスト。しばしば黒が画面の大半を呑み込み、雪の筋だけが残る。
これは鳥を記録するための撮り方ではない。見る人は鴉の習性について何も知ることはない。これらの写真は動物を描写していない。動物を借りて、別のことを語っている。
2016年にこのシリーズを「Solitude of Ravens」として展示したロンドンの Michael Hoppen Gallery は、それを個人的な哀歌、写真家自身の暗くなっていく心の鏡と評した。
鴉になる
日本の文化で、カラスは多くの意味を帯びる。賢く、人の近くに暮らし、しばしば凶兆や死や孤独と結びつけられる。深瀬はなぜ鴉を選んだのか、一度も説明しなかった。だが撮れば撮るほど、人と鳥の重なりははっきりしていった。
1982年には、自分は鴉になったと語った。この言葉は、シリーズ全体を解く鍵としてよく引かれる。「Karasu」は鳥についての写真の集まりではない。七年にわたる自画像であり、そこで写真家は一度も顔を見せない。
こう読むと、写真が美しく、同時に見るのがつらい理由がはっきりする。電線にひとりとまる鴉は、どれも孤立の像。散っていく群れは、どれも混乱の像。見る人は伝記を知らなくても、それを感じる。
写真集と、その後の年月
シリーズは1986年、「Karasu」のタイトルで写真集として出版された。何度か再刊され、戦後日本写真の最も重要な達成の一つとみなす人は多い。その影響は後の世代の写真家にもいまなお見てとれる。
その後の深瀬の人生は穏やかではなかった。1992年、東京のバーの階段から落ち、重い脳障害を負い、二度と写真を撮ることはなかった。2012年に亡くなった。その光のもとで読むと、「Karasu」はさらに重くなる。自らの闇が来るのを見て、それを撮った一人の男。
同じ頃、深瀬は精神においてほとんど正反対の、もう一つのシリーズを制作していた。故郷の写真館で親族を撮った記念写真「Family」である。一方には、寒さの中の孤独な鳥。もう一方には、背景幕の前に並ぶ家族全員。並べると、一人の男の二つの顔が見える。
「Karasu」はいまも展示され、研究され続けている。それは単純なことを思い出させる。ある人をいちばんはっきり見る方法は、ときに、その人が何を見ることを選んだかを見ることだ。