エッセイ · 現代アート

モナ・ハトゥム(Mona Hatoum)。「Impenetrable」。

Mona Hatoum. Impenetrable.

遠くからは光。近くでは柵。

モナ・ハトゥム「Impenetrable」。釣り糸で吊られた有刺鉄線の棒でできた立方体

Solomon R. Guggenheim Museum · Solomon R. Guggenheim Museum



浮かぶ立方体

ニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館のコレクションに、モナ・ハトゥムの2009年の作品「Impenetrable」がある。素材の記載は短い。鋼とナイロンのモノフィラメント。寸法は300×300×300 cm、一辺3メートルの立方体。

離れて見ると、部屋に浮かぶ霞んだ立方体に見える。密に並ぶ垂直の線が、ごく細い鉛筆で描いたような量感をつくる。光が通り抜ける。空中に吊られたミニマルなドローイングと見間違えてもおかしくない。

近づくと、立方体は別のものを見せる。数百本の有刺鉄線の棒でできていて、一本一本が上から釣り糸で吊られている。どの棒にも小さな棘が並ぶ。ドローイングに見えたものは、柵だった。

グリッドと、それが抱えるもの

グッゲンハイムによれば、1990年代初めからのハトゥムの多くのインスタレーションと同じく、「Impenetrable」はグリッドの形をとる。その厳格な幾何学は、立方体と規則的なグリッドと工業素材の芸術、ミニマリズムの彫刻を思わせる。

だがハトゥムは形で止まらない。有刺鉄線は柵の、監獄の、収容所の素材だ。人を閉じ込め、あるいは締め出すための構造。それが優美な立方体に組まれると、正反対のものが一つの場所を分け合う。美しさと脅威。繊細さと鋭さ。

ハトゥムの作品は、パレスチナ出身の亡命者としての人生と結びつけて語られることが多い。それでも作家は、作品が多くの意味や逆説や矛盾を抱えているほうが面白いと語っている。「Impenetrable」はひとつの国境だけの話ではない。あらゆる境界についての問いとして読むことができる。

ソトとの冗談

題名は返答である。1967年から1997年まで、ベネズエラのキネティック・アーティスト、ヘスス・ラファエル・ソト(Jesús Rafael Soto)は「Penetrables」をつくった。多くは一色の鮮やかな色で、無数のプラスチックの紐を吊るした大きな立方体。来場者は中へ入り、通り抜けるよう招かれた。

ソトは静と動、内と外の境をぼかした。ハトゥムは同じ構造を取り、プラスチックを有刺鉄線に替え、名前を変える。通り抜けられるものから、通り抜けられないものへ。グッゲンハイムはこれを、彼女の作品によく見られる黒いユーモアの一端と呼ぶ。

ハトゥムの立方体も、ソトのそれと同じく人を招く。軽く、美しく、きらめく垂直線でできている。だが招きは塞がれている。来場者は外から覗くことしかできない。

見る人の体

グッゲンハイムによれば、人の体はハトゥムの実践を貫いている。初期には自分の体を使った。1980年代後半からは、代わりに見る人の体のための状況をつくりはじめた。「Impenetrable」はそのひとつだ。

つまり、この作品は写真の中では未完成である。部屋を動く誰かが必要だ。立方体が霞から鋭さへ変わるのを見て、自分の歩みが遅くなるのを感じる誰か。目の高さに吊られた棘の前での、あの小さなためらいこそが素材である。

ハトゥムは特定の土地の素材で作品をつくってもいる。石鹸の塊を地図のように並べた「Present Tense」がそうだ。「Impenetrable」に地図はいらない。必要なのは距離と、それを渡る誰かだけ。

部屋を出る人は、しばしば二つの像を覚えている。入口から見た柔らかな光の塊と、間近で見た棘。作品はその二つのあいだに生きている。