エッセイ · 写真
畠山直哉(Naoya Hatakeyama)。「Blast」。
Naoya Hatakeyama. Blast.
岩は舞い上がり、まだ落ちていない。
Victoria and Albert Museum · Victoria and Albert Museum
崖、千分の一秒
1998年に撮影された「Blast #5707」は、採石場の発破の瞬間の、日本の石灰岩の岩肌を写す。青い空を背に、岩塊と石の粉が外へ飛び散る。まだ形を保つかけらもあれば、すでに白い雲になったものもある。そのすべてが宙に浮かんでいる。
プリントを所蔵するロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館によれば、岩は岩肌から約20メートル飛ばされ、一回の発破で2,000トン以上の石が持ち上がる。その数字は写真のどこにもない。写真にあるのはごく短い一瞬だけだ。短すぎて、岩が軽く見える。
プリントはアルミニウムに貼られた C タイプのカラー写真で、約55×81センチ。シリーズの18点を並べて展示すると、幅8メートル近いグリッドになる。その前で、見る人は一つの爆発が何度もくり返されるのを見る。そのたびに違う形で。
離れて撮る
畠山は1995年に Blast を始めた。発破の瞬間、カメラの後ろに立つことはできなかった。そこは岩が落ちてくる場所だからだ。彼は岩肌の近くに三脚で35mmカメラを据え、安全な場所まで退き、千分の一秒でリモコンのシャッターを切った。
カメラの位置も、彼ひとりでは決めなかった。岩がどこへ、どこまで飛ぶかを知る発破技師に従った。ここで写真は、もう一つの職の知識に寄りかかっている。石を割るという職に。
これは写真家を奇妙な立場に置く。出来事が起きるとき、彼はファインダーをのぞいていない。サイレンを待ち、爆発を聞き、空気が体に当たるのを感じ、フィルムが何をとどめたかを知るのはあとになってからだ。像は目よりも、カメラと岩のものである。
故郷の石灰岩
畠山は1958年、日本の東北の沿岸、陸前高田に生まれた。石灰岩に富む地方である。採石場と加工工場は、彼が育った風景の一部だった。父は一時期セメント工場で働き、切り出された石灰岩が船に積まれる港へ、よく彼を釣りに連れて行った。
Blast の前、彼はLime Worksで石灰岩の採石場と工場を撮っていた。同じ素材への、ゆっくりとした静かなまなざしである。Blast はその逆をする。循環全体のうち、もっとも速く、もっとも激しい瞬間を選ぶ。
採石場で発破された石灰岩は、やがて石灰になり、セメントになり、都市のコンクリートになる。Blast を見るとき、人は建物の最初の一歩を見ている。それがまだ山であるうちに。
目に見えないもの
人の目は千分の一秒をとらえられない。発破を見る人に見えるのは、閃光、土煙、そして岩の落ちる音。宙を飛ぶ石の形、かけらとかけらの隙間、沈む前の粉の色は、フィルムの上にしか存在しない。
だから Blast は、人が見たものを記録しているのではない。はじめて見せているのだ。ここで写真は計測の器具として働く。落ちる水滴や駆ける馬をとらえた19世紀の科学写真のように。
けれど畠山の写真には、もう一つのものがある。一枚一枚が、山が自分の一部を失う瞬間である。宙に浮かぶ岩の美しさは、都市に素材を与えるために日々崩されていく崖と切り離せない。V&A は彼の関心を、採石場と都市という二つの相反する風景として語る。Blast は、その二つがふれあうちょうどその場所に立っている。