エッセイ · 近代美術

パブロ・ピカソ「Femme en pleurs」

Pablo Picasso. Femme en pleurs.

悲しみは灰色ではない。割れたガラスのようにぎらつく。

パブロ・ピカソ「Weeping Woman」。帽子の女性がハンカチの陰で泣き、顔は色の面に割れている

Tate · Tate



割れた顔

「Weeping Woman」、フランス語の原題では「Femme en pleurs」。ピカソが1937年に描いた、カンヴァスに油彩の小さな作品だ。ロンドンのテート(Tate)が所蔵している。

描かれているのは腰から上の女性。青い花で飾った帽子をかぶり、髪は黒い。両手でハンカチを握り、口に押し当てている。顔はいくつもの面に切り分けられている。目は正面と横から同時にこちらを見る。キュビスムの時代からピカソが描いてきたやり方だ。

いちばん奇妙なのは顔の中心だ。口、鼻、ハンカチのあたりはほとんど白と淡い青で、鋭い黒で縁どられている。割れたガラスのようにも、透けてしまった皮膚のようにも見える。涙は丸い粒として落ちない。破片として落ちる。

ほかの部分は色に満ちている。赤と黄の地、顔の緑の斑、赤と青の帽子。どれも悲しみに合わせてやわらぐことはない。

「Guernica」の年

1937年4月、スペイン内戦のさなか、バスクの町ゲルニカがドイツとイタリアの航空機に爆撃された。パリに住んでいたピカソは、パリ万国博覧会のスペイン館のために、その町の名を冠した巨大な壁画を描きはじめた。

「Guernica」は黒、白、灰色だけでできている。そこでは母親が死んだ子を抱き、頭をのけぞらせて泣き叫ぶ。泣く女の像はピカソのなかに残った。続く数か月、彼は素描で、版画で、油彩で、何度もそこへ戻った。テートのカンヴァスは、そのなかでも最も完成され、最も色彩豊かなもののひとつだ。

二つを並べると、ひとつのことが二通りに語られている。「Guernica」は町全体の叫び。広く、暗く、ひしめいている。「Weeping Woman」はひとつの顔。近く、明るく、ひとりきり。共有された悲しみが、個人の悲しみへと絞られる。

ドラ・マール

モデルはドラ・マール。写真家であり画家であり、当時のピカソの伴侶だった。彼女はアトリエで描かれていく「Guernica」の各段階を撮影し、絵が生まれる過程の重要な記録を残した。

ピカソは、自分にとってドラ・マールはいつも泣く女だった、と語ったと伝えられる。この言葉は二人をめぐる多くの本で繰り返され、絵にいっそうの重みを与えている。これはモデルの肖像というだけではない。戦争の年に、ひとりの男がそばにいる女性をどう見たか、でもある。

ドラ・マールは受け身の存在ではなかった。自分の仕事があり、自分のシュルレアリスム写真があった。けれどもこの絵のなかで、彼女の顔は、ピカソがひとつの時代全体の悲しみを置く場所になった。

なぜ色は明るいのか

「Weeping Woman」の前に初めて立つと、多くの人が驚く。涙の絵なのに、ポスターのように鮮やかだ。

ひとつの読み方がある。悲しみは、あらかじめ用意された陰鬱な日にやって来るのではない。ふつうの暮らしのただなかに、誰かが良い帽子と明るい服を身につけているときにやって来る。ピカソは色をすべて残し、顔だけを割った。その対比が衝撃をより鋭くする。

だから目をそらしにくい。暗い絵なら一歩引いていられる。明るい絵は私たちを近くへ引き寄せ、そこで初めて真ん中の亀裂を見せる。

この絵は慰めを差し出さない。悲しみがどこから来るのかも説明しない。ほんのひととき、自分の顔をもう保てなくなった女性を見せるだけだ。