エッセイ · 現代アート

アピチャッポン・ウィーラセタクン「Fireworks (Archives)」

Apichatpong Weerasethakul. Fireworks (Archives).

記憶は閃光のなかに現れ、また闇に沈む。

アピチャッポン・ウィーラセタクン「Fireworks (Archives)」。夜、花火に照らされたサラ・ケオクのコンクリートの動物像。

© Apichatpong Weerasethakul · SCAI The Bathhouse



夜の彫刻公園

サラ・ケオクは、タイ東北部ノーンカーイ近郊、メコン川を挟んでラオス国境に近い彫刻公園だ。巨大なコンクリート像で埋め尽くされている。多頭の蛇、象、猿、犬、溶け合う人と動物の姿。ヒンドゥー教と仏教の図像がきわめて独特なやり方で混じり合い、神聖で、同時に奇妙だ。

2014年、アピチャッポン・ウィーラセタクン(Apichatpong Weerasethakul)はここで夜に撮影した。固定の照明はない。光源は花火だった。一発ごとに公園の一部が照らされる。蛇の頭、並んだ歯、石の手。そしてまた闇。

その閃光のなかに、彼の映画でおなじみの俳優たちの姿も見える。像のあいだに静かに立ち、たまたま呼吸しているもうひとつの群像のように。

記憶の装置

2014年9月、東京の SCAI The Bathhouse は同名の展覧会でこの作品を、写真やライトボックスとともに発表した。作家は自らの文章で、「Fireworks (Archives)」を幻覚的な記憶の装置、この寺院の動物彫刻を目録化するひとつの方法と呼んだ。

だから archives という語は冗談ではない。彼はひとつの場所を、動物一体ずつ、書記のように記録している。ただし、可能なかぎり短い光で。決してじっくり見せてはくれない光で。

ギャラリーによれば、この作品は、光が脳細胞のなかの特定の記憶をどう呼び起こしうるかという科学研究に一部を負っている。アピチャッポンはその発想を映像に変える。光が暗い片隅に触れ、忘れられていた何かが現れる。彼になじみの主題である夢と眠りも、ここにある。

反乱としての像

アピチャッポンはタイ東北部のイサーンで育った。彼の映画はたびたびそこへ戻る。民話、幽霊、首都から遠い地方のあまり語られない歴史とともに。

SCAI で彼は、サラ・ケオクの像をある種の反乱として読んだ。イサーンは長くバンコクの圧力の下にあった。どんな規則にも従わない巨大で奇抜な動物たちは、ひとつの地方が自らを語るひとつのやり方だ。俳優たちとともに、それらはこの土地の破壊と解放の両方を記念する。

だから花火は二つの意味を帯びる。祝祭と、銃声の残響をともなう爆発。像が燃え上がるたび、見る者は祭りと襲撃の区別がつかない。

その5年前、彼は同じイサーンのナブア村で「Primitive」を制作した。村が抱える暴力の記憶についての作品だ。「Fireworks (Archives)」は、その糸を石と閃光のなかで引き継ぐ。

まばたきのうちに見る

残るのは、どれか一体の像の形ではない。リズムだ。光、闇、光、闇。目は、いま見たものを推し量りつづける。

アピチャッポンは完全なアーカイブを差し出さない。差し出すのは隙間だらけのアーカイブ。本当の記憶がそうであるように。私たちはひとつの場所を丸ごと思い出すのではなく、照らされた断片だけを思い出す。花火のあと、空はまた黒に戻り、動物たちは闇のなかに残る。存在するために、見られる必要はない。