エッセイ · 現代アート

アピチャッポン・ウィーラセタクン「Primitive」

Apichatpong Weerasethakul. Primitive.

村は忘れる。闇は覚えている。

アピチャッポン・ウィーラセタクン「Primitive」:夜のナブアの十代、身体を横切って落ちる光

Pirelli HangarBicocca · Pirelli HangarBicocca



タイ東北部の村

ナブアはタイ東北部の村。1960年代から1980年代にかけて、共産ゲリラ掃討のため政府軍がこの地域を占領した。村は抑圧の場となった。人々は暴力を生き、そのあとは沈黙を生きた。

2008年の夏、アピチャッポン・ウィーラセタクン(Apichatpong Weerasethakul)はナブアを訪れ、数か月とどまった。話を聞くための古老は探さなかった。彼が共に働いたのは村の若者たち、かつて反体制派の烙印を押された人々の子孫。直接の記憶を持たない世代。それでも、起きたことのただ中で暮らしている。

彼らは一緒に撮影し、遊び、宇宙船をつくった。田園の真ん中に置かれた奇妙な物。まるでこの場所からの出口が、あるいは世界と世界のあいだを旅する方法があるかのように。

その数か月から、2009年の「Primitive」が生まれた。ミュンヘンのハウス・デア・クンスト(Haus der Kunst)の委嘱により、リヴァプールの FACT、ロンドンの Animate Projects と共同で制作された。

いくつもの部分からなる作品

「Primitive」は一本の映画ではない。2009年末にリヴァプールの FACT で展示されたとき、プロジェクトは四つの作品で構成されていた。「Primitive」「Primitive (Nabua Song)」「Primitive (I'm Still Breathing)」、そして「A Letter to Uncle Boonmee」。それぞれが同じ村への異なる角度。

ドキュメンタリーに近い場面もある。演出された場面もある。音楽があり、沈黙がある。観る者はスクリーンからスクリーンへ移り、自分でそれらをつなぎ合わせる。道を示す者はいない。

2013年、プロジェクト全体がミラノの Pirelli HangarBicocca で、アンドレア・リッソーニ(Andrea Lissoni)のキュレーションにより、この作品のために特別に設計された Shed の空間で公開された。部屋はほぼ完全な闇。映像は闇の中に現れ、そして消えた。

その闇は背景ではない。作品の一部。多くが語られない村で、闇はそれらが残る場所。

幽霊と時間

アピチャッポンはしばしば、幽霊や前世、重なり合う時間の層をめぐる映画をつくる。彼にとって過去はどこへも行かない。風景の中に、身体の中に、夕暮れの光の中にとどまる。

「Primitive」は今日の十代をその層のあいだに置く。彼らは犠牲者を演じない。ただそこにいて、若者がすることをする。遊び、眠り、話し、待つ。そのありふれた存在こそが過去を前へ連れ出す。誰も名を呼ばない幽霊が、彼らの隣に立っているように。

プロジェクトの一部である「A Letter to Uncle Boonmee」は、アピチャッポンが2010年に完成させた長編「Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives」につながる。この映画はカンヌでパルム・ドールを受賞した。だがその土台は、すでにナブアで、若者たちと過ごした数か月のうちに築かれていた。

ナブアは終着点でもなかった。アピチャッポン自身の故郷であるタイ東北部は、のちの作品に何度も戻ってくる。Fireworks (Archives) もそのひとつ。夜の彫像が、閃光ひとつずつ照らし出される。戻るたびに、同じ土地を別の光で見る。彼はこの場所に最終的な答えを求めない。ただ戻り続け、見続ける。

「Primitive」が残すのは歴史の授業ではない。場所は人よりも長く覚えていられる、という感覚。語りから消されたものは、土の中に、夜の中に、若い顔に落ちる光の中に残る。