エッセイ · 現代アート

トニー・アウスラー「The Influence Machine」

Tony Oursler. The Influence Machine.

煙の上に顔が現れる。煙が去り、顔も去る。

トニー・アウスラー「The Influence Machine」。夜の公園で煙と木々に映された顔

Tate · Tate



語る公園

「The Influence Machine」は、アメリカの美術家トニー・アウスラーが2000年につくった屋外作品。最初はニューヨークのマディソン・スクエア・パークで2000年10月19日から31日まで、続いて同じ年の11月1日から12日まで、ロンドンのソーホー・スクエアで公開された。

日が暮れると、公園は変わった。機械がつくる煙の雲に、巨大な人の顔が現れた。木々や、まわりの建物のファサードに像が映された。拳が壁を何度も何度も叩いた。

音もあった。アウスラーが書いたモノローグ。始まりも終わりもはっきりしない思考の流れ。ロンドンでは、広場を見下ろす病院から若い男たちの合唱が響いた。「Medium(霊媒)」と呼ばれる人物が、煙の中から語った。

作品はニューヨークのPublic Art FundとロンドンのArtangelの共同委嘱による。のちに2011年にマンチェスター、2013年にアデレードで再演され、現在はテートのコレクションにある。

機械の歴史

アウスラーは光のショーを演出していたのではない。ひとつの歴史を語っていた。題は、テレビの初期の呼び方のひとつ、影響機械(influencing machine)から来ている。そこから彼は、像と声を、それを生んだ身体から離して、遠くへ初めて送った人々へとさかのぼった。

18世紀末のパリで、投影機を使って幽霊ショーを演じたエティエンヌ=ガスパール・ロベール(Étienne Gaspard Robertson)。1830年代の電信の背後にいたサミュエル・モールス。1920年代にテレビの実験をしたジョン・ロジー・ベアード。

彼らはみな、何かを、それがない場所に現した。煙のスクリーンの上の幽霊。電線を伝う伝言。誰かの居間の画面に映る顔。

ニューヨークでは、木や建物に映された叩く手が、モールス信号やほかの初期の通信のかたちを暗示していた。音にはっきりした意味はなかった。けれどそのリズムは、届こうとする信号のリズムだった。

闇からの音

音は像と同じくらい大切だった。ニューヨークでは音楽家トニー・コンラッドがこの企画のために曲を書いた。ラジオのフィードバックがあった。ガラスの鉢でできた楽器、グラス・ハーモニカがあり、ディーン・ショスタクが演奏した。

どの音も、決まった一点からは来なかった。公園を歩く人は、一方から声を聞き、別の方に顔を見た。像と音は分かれた。声は電線で、絵は電波で旅した、かつてのメディアの歴史のように。

アウスラーは長く、スクリーンではないものに顔を映してきた。布の人形、球体、部屋の中の物。ここで彼はその方法を屋外へ持ち出し、さらに不安定な表面に向けた。煙はじっとしていない。葉は風に揺れる。顔は歪み、崩れ、また集まり続けた。

なぜ記憶する価値があるのか

2000年、インターネットは日々の暮らしに入り込み始めたばかりだった。画面がいたるところに現れ始めていた。「The Influence Machine」は思い出させた。語る機械を前にして私たちが抱く、魅了と不安の入り混じった感覚は新しくない。煙の上に最初の幽霊が現れたときから、それはあった。

作品はもうひとつ、まれなことをした。メディアの歴史を美術館から出し、公共の公園へ、夜にそこを通るすべての人のもとへ運んだ。チケットはいらない。ロベールやベアードが誰かを知る必要もない。見る人は立ち止まり、煙の上の顔を見るだけでよかった。

その数十年前、ナム・ジュン・パイクは庭の植物のあいだにテレビを置いた。アウスラーはさらに一歩進んだ。箱そのものを捨て、像を木々と煙にしがみつかせた。

機械が止まると、公園はまた公園に戻った。煙は晴れた。木々は静まった。顔の痕跡は何も残らなかった。残ったのは、立ち止まって見た人々の記憶だけ。