エッセイ · 現代アート

プロペラ・グループ「The Living Need Light, the Dead Need Music」

The Propeller Group. The Living Need Light, the Dead Need Music.

去る者には歌が要る。残る者にも。

プロペラ・グループ「The Living Need Light, the Dead Need Music」。ベトナム南部の葬儀を描いた映像のスチル

Carnegie Museum of Art · Carnegie Museum of Art



ひとつのコレクティブ、ひとつの儀式

プロペラ・グループ(The Propeller Group)は、2006年にホーチミン市で結成されたアーティスト・コレクティブ。メンバーは三人。1974年ベトナム生まれのフナム・トゥック・ハー、1976年アメリカ生まれのマット・ルセロ、1976年ベトナム生まれのトゥアン・アンドリュー・グエン。映画、映像、インスタレーションを手がけ、しばしば美術と大衆文化の交わる場所で制作する。

「The Living Need Light, the Dead Need Music」は、2014年にニューオーリンズで開かれた大規模展「Prospect.3: Notes for Now」のためにつくられた映像作品。一部はスタジオで、一部はメコンデルタの現地で撮影された。

主題は葬儀。厳かで静かな葬儀ではない。ブラスバンド、霊媒、職業の泣き女、大道芸人が集う、ベトナム南部の葬儀。

こうした葬儀では、悲しみと喜びが切り離されない。泣き声があり、次に陽気な音楽がある。誰かがひざまずき、誰かが踊る。映像はどちらかを選ばない。両方をそこに居させる。

現実の場面と、演出された場面

映像は現地で撮った場面と演出された場面を織り合わせる。どちらがどちらか、観る者にはいつも見分けがつくわけではない。田んぼを歩くバンドは本物の葬儀かもしれないし、仕組まれた場面かもしれない。

この曖昧さは、欺くためのものではない。儀式がすでにひとつの上演であることを示している。雇われた泣き女が演じる。霊媒が演じる。ブラスバンドが演じる。葬儀は舞台であり、共同体はそこで、人をどう見送るかを自らに示す。

これはプロペラ・グループが文化を見るときのやり方でもある。外に立って説明するのではなく、既存の形式の内側に入り、その言葉を借りる。ここでその言葉とは、ホルン、太鼓、報酬を受けた哀哭、棺の後ろのゆっくりした足音。

映像は非常に高い解像度で撮られた。色は深く、光は鮮やか。衣装、灯り、花輪は、ミュージカルのようにくっきりと映る。コレクティブは、真面目なドキュメンタリーに見せるためにその輝きを鈍らせたりしない。

その結果、映像は親しくもあり、奇妙でもある。ベトナムの観客は聞き慣れた音に気づく。ほかの人々は、自分の知る葬儀とはまるで違う儀式を見る。

メコンからニューオーリンズへ

映像には、2001年に亡くなった作曲家チン・コン・ソンの歌「Một Cõi Đi Về」が含まれる。ベトナムの葬儀でよく耳にする歌だ。多くの人にとって、最初の数音だけで、過去の別れがよみがえる。

映像には、ニューオーリンズでおなじみの曲も流れる。この街には独自の葬送の伝統があり、ブラスバンドが通りを練り歩く。はじめはゆっくりと悲しく、やがて陽気に変わる。ニューオーリンズの展覧会のために映像をつくるにあたり、プロペラ・グループは海を隔てた二つの伝統を同じフレームに置き、音楽に橋をかけさせた。

2015年から2016年にかけて、映像はピッツバーグのカーネギー美術館のフォーラム・ギャラリーで上映された。企画はアマンダ・ドナン。メコンからもニューオーリンズからも遠いアメリカの美術館で、それはなおベトナム南部の葬儀の喧騒を宿していた。

三人のメンバーのひとり、トゥアン・アンドリュー・グエンは、その後、大陸をまたぐ記憶と別れを扱っていく。「The Specter of Ancestors Becoming」のように。けれどここでは、まだすべてが音楽だ。生者には光が要る。死者には音楽が要る。タイトルがすべてを語っている。