エッセイ · 嗅覚アート

北インド。香水スプリンクラー。

Northern India. Perfume Sprinkler.

外には描かれた花、内には液体としての花。

長い首をもつ無色ガラスの香水スプリンクラー。色エナメルで蓮と花々が描かれ、金彩が施されている

The Metropolitan Museum of Art, Fletcher Fund, 1975(Open Access、パブリックドメイン) · The Metropolitan Museum of Art



14センチのガラス

ニューヨークのメトロポリタン美術館、イスラム美術の展示室に、無色ガラスの香水スプリンクラーが立っている。高さ14cm、直径6cm足らず。美術館はこれを18世紀、北インドのものとしている。署名や文書ではなく、様式にもとづく推定である。

誰がガラスを吹いたのかは分からない。誰がエナメルを描いたのかも分からない。記録が語るのは素材と技法だけだ。無色ガラス、型吹き、エナメル彩、金彩。

型吹きとは、ガラス職人が熱いガラスの塊を型の中に吹き込み、壁面に沿って膨らませる技法である。同じ形の器を数多く作ることができる。装飾はその後だ。色エナメルを描き、金を施し、もう一度火に戻してエナメルをガラスに溶着させる。

メトロポリタン美術館は1975年、Fletcher Fund によってこれを収蔵した。同館のイスラム・コレクションにある数多くの香水スプリンクラーのひとつであり、それぞれ素材も地域も世紀も異なる。

外に蓮、内に薔薇

美術館によれば、このスプリンクラーにはローズウォーターが満たされ、祝祭の折に空間を香らせるために振りまかれた。手首に少しつけるための瓶ではない。部屋を、人の群れを、一日をまるごと香らせる道具である。

装飾は色エナメルによる蓮とほかの花々。美術館はそれを、内に収めた甘い香りへの言及と読む。外の絵は、中の液体のラベルとして働く。

興味深いのは、花が一致しないことだ。液体はローズウォーター。ガラスの上で目立つ花は蓮。描き手は匂いを生んだ花を描かなかった。描いたのは花、みずみずしさ、庭という大まかな観念である。目は鼻ほどの正確さを必要としない。何か甘いものが来る、と告げられれば十分なのだ。

無色のガラスは、それをいっそう明らかにする。銀や真鍮は中身を隠す。ガラスは隠さない。持つ人は、振りまくたびに液体の水位が下がるのを見ることができた。香りは、目で数えられるものになった。

イスラム世界のスプリンクラー

ペルシアから南アジアまで、イスラム圏の文化においてローズウォーターは長い歴史をもつ。料理に、儀礼に、客のもてなしに。スプリンクラーは最後のものに仕える。細い首は少しずつしか液を出さず、濡らしすぎずに香りだけを残す。

メトロポリタン美術館のコレクションは、ひとつの用途が多くの形をとることを示している。金彩の緑の瓶、鳥をあしらったスプリンクラー、紋章を帯びたスプリンクラー。一方、南アジアの宮廷では、職人たちがこの倍の高さの金めっきの銀製スプリンクラーを作った。はるかに重く、壮麗なものだ。

このガラスのスプリンクラーは、その幅の反対の端にある。軽く、壊れやすく、小さい。富を示すのは貴金属ではなく、色と、細い金の輝きと、ガラスの透明さである。

壊れやすいからこそ、3世紀近く残ってきたことは注目に値する。こうした器のどれほどが落ち、ひび割れ、使われたあと捨てられたのだろう。これは、誰も覚えていない祝祭の生き残りのように、ケースの中に立っている。

小さな瓶を長く見る理由

今その前に立つ人は、目しか使えない。中に液体はなく、匂いもない。香りについて語るのは、エナメルの花だけである。

だからこそ、この物は長く見るに値する。かつての人々が香りをどうやって像に変えようとしたかを示しているからだ。言葉でも処方でもなく、器そのものに置かれた絵によって。香りは去り、絵は残る。

Penta は、美術館の記録がいかに短いかに気づく。素材について数行、用途について一文、花について一文。残りは見る人が埋める。その祝祭はどれほど賑やかだったか、誰が瓶を持ったか、しずくは誰に降りかかったか、薔薇はどれほど部屋にとどまったか。