エッセイ · 現代アート

カールステン・ヘラー(Carsten Höller)「Test Site」

Carsten Höller. Test Site.

頭より先に、体が知る。

カールステン・ヘラー「Test Site」:上階からタービン・ホールへと下る螺旋状のチューブ型滑り台、テート・モダン

Tate Modern · Tate Modern



かつての発電所に、五本のチューブ

2006年10月10日から2007年4月15日まで、テート・モダンのタービン・ホールに五本の滑り台が置かれた。建物の上階から始まり、ホールの床まで下る螺旋状のチューブ。誰でも無料で滑ることができた。

作品の名は「Test Site」。1961年生まれのアーティスト、カールステン・ヘラーが、テートが毎年この大ホールのために委嘱する The Unilever Series のために制作した。

バルコニーから見ると、チューブは空間に巻きついた巨大なコードのようだった。下には見慣れた光景。大人も子どもも飛び出し、よろめいて立ち上がり、笑う。コンクリートのホールに叫び声が響いた。

タービン・ホールの前に、ヘラーはほかの場所に六つの小さな滑り台を設置していた。「Test Site」は試作と位置づけられた。滑り台が美術館の中で機能するなら、それは街を移動する方法にもなりうるだろうか。

仕事を替えた科学者

ヘラーはアーティストになる前に生物学の博士号を取得している。最初の専門の痕跡ははっきり残る。彼はしばしば実験に似たものをつくるが、実験する側は来場者で、試される対象は来場者自身の体だ。

テートは以前の作品をいくつか挙げている。1996年の「Flying Machine」は、来場者のための飛行装置。「Upside-Down Goggles」は、かけた人の世界を上下逆さにした。2000年の「Frisbee House」。どれも、ゴーグルが上を下に変えるように、ふだんの知覚を少しずらす。

「Test Site」はその系譜で最も大きな一歩だった。説明書も解説もいらない。チューブ、入口、出口。あとは体がやる。

何年もあとに、同じアーティストは滑り台から眠りへ移った。「Insensatus Vol. 1 Fig. 1」、夢を変えるためにつくられた香りつき歯磨き粉のセット。やはり試験。今度は鼻と口を通して。

官能的なパニック

滑る感覚を言い表すのに、ヘラーはフランスの作家ロジェ・カイヨワ(Roger Caillois)から言葉を借りた。カイヨワはめまいの遊びについて書き、その状態を、ふだんは明晰な精神を襲う官能的なパニックと呼んだ。

二つの言葉は互いに引き合う。歓びと恐れ。明晰さと、制御を失うこと。下っていく数秒のあいだ、どちらかを選ぶことはできない。そのあいだにいる。ヘラーが関心を寄せるのは、まさにその中間。外からは誰にも見えない内側の状態。

Tate Papers に掲載された研究は、カイヨワの遊びの理論を通して「Test Site」を読み、ひとつの特徴を強調する。遊ぶ人は受け入れることも断ることもできる。誰もチューブに押し込まれない。人は列に並び、下をのぞき、自分の度胸を測り、そして決める。その決断も作品の一部だ。

カイヨワはまた、道徳的な種類のめまいについても書いた。ふだん抑えている無秩序への欲望と結びついたもの。人がゆっくり歩き、小声で話し、何にも触れない美術館で、滑り台はひとつの許可になる。ほんの少しの無秩序を、ふさわしい場所で、ふさわしい数秒だけ。

見ること、見られること

「Test Site」は二つの層で働く。外側の層は見世物。産業用のホールに五つの大きな曲線、上っては下りてくる人々、笑い声。橋の上にいる誰もが見ることができる。内側の層は滑る人の感覚で、それは人に渡せない。

Tate Papers の研究は、インタラクティブ・アートの理論や、作品が生み出す社会的関係の理論を参照する。列に並ぶ人は言葉を交わす。滑ったばかりの人が、これから滑る人に話しかける。作品はチューブだけではない。そのまわりで人と人のあいだに起きることでもある。

チューブが撤去されたあとに残るのは、単純な問い。私たちは体をひとつの知り方として信じるのか。それとも目に見えるもの、頭で説明できるものだけを信じるのか。ヘラーは答えない。入口を開けて、待つ。