エッセイ · 嗅覚アート

カールステン・ヘラー(Carsten Höller)、ベン・ゴーラム(Ben Gorham)「Insensatus Vol. 1 Fig. 1」

Carsten Höller, Ben Gorham. Insensatus Vol. 1 Fig. 1.

眠る前の最後の匂いは、夜の中までついてくる。

カールステン・ヘラーとベン・ゴーラム「Insensatus Vol. 1 Fig. 1」:胡桃材の箱に収められた香りつき歯磨き粉のセット

Carsten Höller & François Roche, Hypothèse de Grue, 2013 (展示風景、「With」) · ArtReview



木箱と、四本のチューブ

2013年、カールステン・ヘラーはパリのギャラリー Air de Paris で個展「With」を開いた。同ギャラリーでは六年近くぶりの展示だった。作品のなかに、贅沢品のように見える小さな物があった。胡桃材の箱に、歯磨き粉のチューブが四本。

作品名は「Insensatus Vol. 1 Fig. 1」。三本には香りがつき、Male、Female、Infantile とラベルが貼られている。四本目はベースで、Activator と呼ばれる。使う人はベースにひとつ以上の香りを混ぜ、寝る前に歯を磨く。

約束は奇妙だ。分量しだいで、歯磨き粉が夢に影響するという。Male を多く、Female を多く、Infantile を多く。すると夢はその方へ傾く。

作品はストックホルムの香水ブランド Byredo の創業者、ベン・ゴーラムとともにつくられた。ゴーラムは、夜のあいだ夢を導く香りをつくりたかったと語っている。味覚を持ち込むことを思いついたのはヘラーだった。こうして香りは口の中へ入った。歯磨き粉として。

背後にいる科学者

ヘラーが匂いにたどり着いたのは偶然ではない。アートの前に科学者としての訓練を受け、昆虫が匂いで交信するしくみを研究していた。匂いが情報を運べること、言葉なしに生き物の行動を変えられることを、彼は知っていた。

彼の作品の多くは、来場者を実験の参加者に変える。人は滑り、眠り、上下が逆さに見えるゴーグルをかけ、自分の内側で何が変わるかを見る。「Insensatus」もその系譜にある。ただしここでは、実験室は使う人自身の浴室。結果は夢の中に現れる。

Insensatus はラテン語で、無感覚なもの、非理性的なものを思わせる。題名全体は科学書の項目のように読める。第一巻、第一図。作品はそのあいだに立つ。実験のように真剣で、冗談のようにばかげている。

対の展覧会

「With」は協働をめぐる展覧会だった。ヘラーは剥製師、模型職人、調香師、写真家、アーティスト、建築家と組んだ。全体を貫く糸は、二重であること。

ダヴィデ・モンテレオーネ(Davide Monteleone)の写真「So Alone」は、三十組を超える双子のなかにいるヘラーを写す。「Memory」は遊園地の乗り物を写した三十の両面フレームで、毎週ギャラリーのスタッフがコインを投げ、どちらの面を表に向けるかを決めた。三十二枚の両面カードによる「The Memory Game」。そして建築家フランソワ・ロッシュ(François Roche)とつくった「Hypothèse de Grue」。竜の形をした白い金属の構造物に、スモークマシンがついている。

そのなかで「Insensatus」もまたひとつの対だ。目覚めている者と、夢を見ている者。夜に歯を磨く人と、朝に目を覚ます人は同じ人。それでもそのあいだには、どちらにも制御できない一夜が横たわる。

匂いと眠り

この作品は美容業界への皮肉としても読める。あらゆる製品が、使う人の人生の何かを変えると約束する世界。2013年のレビューは、このセットが販売される予定だったことにも触れている。夢の約束は、ほかのあらゆる約束と同じように、上等な箱に入って届いた。

けれど作品は、本当のことにも触れている。匂いは記憶と感情のすぐそばを走る。なじみの匂いは、ひとつの部屋、ひとりの人、ひとつの季節を呼び戻す。匂いが夢に入ってくるかどうかは、それぞれがひとりで問うしかない。「Dreaming in Smell」は、その問いを別の側から取り上げる。

「Insensatus」は答えを出さない。道具と約束を使う人の手に渡し、眠りにつかせる。朝、何が起きたかを知るのは夢を見た本人だけ。あるいは本人さえ覚えていないかもしれない。