エッセイ · 嗅覚アート

クララ・ウルシッティ「Eau Claire」

Clara Ursitti. Eau Claire.

香水がふだん隠すものを、この瓶はしまっておく。

クララ・ウルシッティ「Eau Claire」:作家の体の匂いを収めた手吹きガラスの瓶

© Clara Ursitti · Clara Ursitti(作家公式サイト)



瓶と人

1992年から1993年ごろ、クララ・ウルシッティはごく小さな物をつくった。手吹きのガラス瓶。中には、自分自身の体の匂い。

作品名は「Eau Claire」。1993年、カナダ・トロントのアーティスト・ラン・スペース Mercer Union で展示された。ほぼ十年後の2002年、ニュージーランドのオークランド美術館へ。2015年にはスイス・バーゼルのティンゲリー美術館に登場した。

目には、「Eau Claire」はほとんど何も差し出さない。香水瓶の形をした瓶が、ギャラリーに置かれているだけ。最も大切な部分は、見えない部分だ。

ウルシッティは1990年代初め、匂いを主な素材に使う作家がごく少なかった時期に、香りを扱いはじめた。「Eau Claire」は初期作品のひとつで、最も小さくまとまったもののひとつ。機械も、部屋も、センサーもない。ガラスと身体だけ。

裏返しの香水

「Eau Claire」を理解するには、商業的な香水がふだん何をしているかを思い出すといい。その歴史の大半で、香水は覆うために使われてきた。汗を、肌を、長い一日のあとの体の匂いを。人は花や木や柑橘を吹きつけ、ほかの人が自分の代わりにそれを嗅ぐようにする。

香水産業はイメージも売る。どの瓶にも名前があり、物語があり、広告の顔がある。買う人は匂いだけを買うのではない。自分の別の姿を買う。

ウルシッティはその形式をまるごと借りる。ガラス瓶、フランス語めいた名前、贅沢品の見た目。だが中身を入れ替える。瓶の中にあるのは、人の匂いを隠すためのものではない。人の匂いそのものだ。

結果は、見慣れていて、同時に奇妙だ。香水のように見えながら、香水が防ぐために発明されたことをする。

持ち運べる肖像

「Eau Claire」は、しばしば香りによる肖像として読まれる。だが部屋やインスタレーションと違い、手に取れる物だ。鏡台に置かれるほどの大きさ。

それは、観る者と描かれる者の関係を変える。描かれた肖像は壁に掛かり、観る者は離れて立つ。体の匂いの瓶は近さを求める。中身を知るには、鼻に近づけなければならない。それは、二人が近く立つ距離、抱擁の距離だ。

そこには居心地の悪い親密さがある。体臭は、私たちが隠し、洗い流し、誰かに気づかれたら謝るものだ。それを瓶に入れ、人前に出すのは大胆な行為。作品は問う。あいだに香水のない見知らぬ人を、あなたは嗅ぐだろうか。

手吹きガラスであることも大切だ。手吹きの瓶には、一つひとつ小さな違いがある。気泡、不揃いな曲線。中の身体と同じく、瓶も大量生産ではない。

小さな瓶がいまも記憶される理由

今日から見れば、「Eau Claire」は単純に見える。のちの多くの作家が、体臭や汗や不快な匂いを扱った。だが1990年代初め、身体の匂いを香水の形に収め、それを芸術と呼ぶことは、まだ開かれた問いだった。

この作品は、ウルシッティの実践の長い糸の始まりでもある。匂いはアイデンティティ、ジェンダー、惹かれ合うことについて何を語るのか。彼女は問い続けた。まもなく「Self-Portrait in Scent, Sketch no. 1」が生まれ、肖像は部屋全体になった。「Eau Claire」はその問いの最も小さな形。手のひらに収まるほど小さい。

そして瓶は、その逆説を保ち続ける。香水は別の誰かになる夢を売る。「Eau Claire」が差し出すのは、化粧も物語もない、実在の一人だけ。訪れた人はそれを開ける。あるいはただ見て想像する。そして、彼女が隠せないただひとつのものを通して、誰かに出会う。