エッセイ · 嗅覚アート
クララ・ウルシッティ「The Smell of Fear」
Clara Ursitti. The Smell of Fear.
香水の裏には、いつも身体がある。
© Clara Ursitti · Clara Ursitti(作家公式サイト)
音を出さない四台のスピーカー
1996年、クララ・ウルシッティはスコットランド・グラスゴーのアーティスト・ラン・スペース Transmission Gallery で個展を開いた。主な作品は「The Smell of Fear」と題された。
上階のギャラリーには、スピーカーに見せかけた四台の香りの噴霧器が立っていた。舞台の両脇に置かれる、あの種のスピーカー。それぞれに人感センサーがあった。人が通りかかると、機械は香りをひと吹き放った。
部屋はピンクのスポットライトで照らされていた。下の階から、かすかな歌声が上ってくる。訪れた人は、音ではなく匂いを放つスピーカーのあいだに立った。
匂いは構築されたものだった。ウルシッティは生化学者のドッド博士と組み、ジュディ・ガーランドの体臭がこうだったろうと予想されるものを再現した。そこに、ガーランドが好んだ香水のひとつが組み合わされた。
スターと汗
ジュディ・ガーランドは、子どもの頃から名の知られた、ハリウッド屈指のスターだった。そのイメージの裏には、厳しい人生があった。多くの証言によれば、彼女は長年、痩せ薬と睡眠薬に頼っていた。
身体に現れた結果のひとつが、ひどい発汗だった。公演中、彼女は何度も衣装を替えなければならず、体臭を覆うために大量の香水を使った。
ウルシッティは、まさにその細部を出発点にした。歌でも、映画でも、華やかな写真でもない。匂い。客席の観客は決して嗅がなかった、だが舞台袖で彼女の近くに立つ人々は嗅いだもの。
題名は、多くの人が知っていることを指す。恐れには匂いがある。緊張の汗は、暑い日の汗とは違う。毎晩何千もの人の前に立つスターは、その両方を身にまとう。
地下と最後の歌
Transmission の地下で、ウルシッティは、亡くなる少し前のガーランドがロンドン・パラディアムで歌う映像を投影した。彼女は浮浪者の衣装を着ている。男性的な色合いの役だ。そして子どもの頃に彼女を有名にした歌を歌う。
フィナーレで彼女は泣き、舞台を去る。その涙が本物だったのか演技の一部だったのか、誰にも確かなことは言えない。
その曖昧さが、作品全体を貫いている。上の階では、香水と身体が混ざり、訪れた人は人と覆いを見分けられない。下の階では、涙と演技が混ざり、感情と舞台を見分けられない。
ガーランドは、いつも役の中にいた。ウルシッティはそれを剥がそうとしない。役の下に、まだ汗をかく身体があることを示すだけだ。
誰か別の人の肖像
ウルシッティの初期作品の多くは、自分自身の匂いをめぐるものだった。「The Smell of Fear」で、彼女は別の誰かへ向かった。有名で、亡くなっていて、映画と写真と録音の中にだけ生き残る人。そして、その人についての私たちの記憶に何が欠けているかを問うた。
答えは匂いだ。スターは目と耳を通して保存される。どんな匂いだったかを保存する人はいない。ウルシッティは欠けた部分を建て直す。推測によるものでしかないと、決して確かめられないと知りながら。
その推測こそが、作品を誠実にしている。ウルシッティは、これがガーランドの匂いだとは主張しない。予想されたもの、と呼ぶ。訪れた人が嗅ぐのは、遺物ではなく仮説だ。
恐れの匂いは、ほかの作家も惹きつけてきた。シセル・トラース(Sissel Tolaas)の「FEAR」のように。そこでは男性の汗が集められ、香りとして再構成された。だがウルシッティは、その問いを特定の一人に向ける。ピンクの光の下、音のないスピーカーのあいだで。