エッセイ · 嗅覚アート
サイラス・クラーク(Cyrus Clarke)「The Anemoia Device」
Cyrus Clarke. The Anemoia Device.
行ったことのない場所を恋しく思う。
© Cyrus Clarke 2025 · Cyrus Clarke(公式サイト)
生きたことのない時への郷愁
アネモイア(anemoia)は、生きたことのない瞬間への郷愁を指す新しい言葉だ。ある年のある通りを写した白黒写真を見て、そこに立ったことはないのに、恋しさを覚える。
サイラス・クラークはその感覚を課題として引き受けた。彼がつくったのは、一枚のフィルム写真をそれ自身の匂いへと蒸留する機械だ。写っている物の匂いではない。写真が呼び起こす瞬間の匂い。
最初のバージョンはMITで、二つの授業のなかでつくられた。How To Make Almost Anything と、MITメディアラボの Tangible Interfaces。2025年、チームはこの装置についての論文を、人工知能の最大級の国際会議のひとつである NeurIPS で発表した。共著者には Nomy Yu、Melo Chen、Yuen Zou、そしてMITメディアラボの Tangible Media Group を率いる石井裕(Hiroshi Ishii)が名を連ねる。
像から言葉へ、言葉から匂いへ
工程は段階を追って進む。使う人が機械にフィルム写真を置く。視覚言語モデルがそれを読み、写真についての短い物語を書く。
次に、使う人が三つのダイヤルを回す。ひとつは視点。場面のなかで自分は誰か、どこに立つか。ひとつは時間。ひとつは気分。この選択が物語の枠を決め、使う人を記憶のなかに置き、匂いの性格を定める。
選択はまとめられて言語モデルに渡され、プロンプトに変換される。そのプロンプトが最後の段階、テキストから匂いへの意味の土台になる。知識ベースが物語のなかの手がかりを香りのプロファイルに結びつける。機械は44種の香りのライブラリから最大4つを選び、アルゴリズムで調合して最終的な構成にする。
結果は、一枚の写真、一人の見る人、一回のダイヤル操作のためにつくられた匂いだ。視点を変えれば、匂いも一緒に変わる。
機械に触れる手
ひとつの設計上の選択が目を引く。ダイヤルが実物の物であることだ。NeurIPS の論文はこの装置を、香りを通して合成された記憶を共につくる、触れられるAIシステムと呼んでいる。
たいていのAIツールでは、人は文字を打つ。ここでは写真を手に持ち、機械に差し入れ、ダイヤルを手で回す。ひとつひとつの身振りはゆっくりで、重さがある。機械に命令するより、古いアルバムをめくることに近い。
MITメディアラボのタンジブル・インターフェースの系譜は、まさにこれを主張してきた。情報を物に戻し、人が手で考えられるようにすること。「The Anemoia Device」はその系譜に、コンピュータがめったに届かない感覚をひとつ加える。
合成された記憶
論文の題にある「合成された記憶(synthetic memories)」という言葉は考えるに値する。機械がつくる匂いは、使う人に起きた何かと結びついていない。他人の写真から、モデルの言葉を経て、自分の選択を通してつくられた記憶だ。
それに落ち着かなさを覚える人もいるだろう。だがそれは古い真実に触れている。記憶が忠実な記録だったことは一度もない。私たちは親戚の話を通して、家にある写真を通して、話に聞いただけかもしれない台所の匂いを通して、思い出す。
データから匂いをつくるために機械を使った作家はほかにもいる。たとえばレフィク・アナドールの「Machine Dreams: Rainforest」。アナドールは森ひとつ分のデータを扱う。クラークが扱うのは小さな写真一枚と、その前に立つ一人の人。規模は違う。問いは近い。機械は私たちが何を思い出すのを助けられるのか。