エッセイ · 現代アート
グスタフ・メッツガー「Recreation of First Public Demonstration of Auto-Destructive Art」
Gustav Metzger. Recreation of First Public Demonstration of Auto-Destructive Art.
物質が消えるところで、形が生まれる。
Tate · Tate
ナイロンに酸
作品はごく単純な動作からはじまる。ナイロンの布が、絵画のカンヴァスのように枠に張られる。メッツガーはそこに酸を刷毛で塗り、吹きつける。酸が落ちたところでナイロンは縮み、薄くなり、やがて開く。穴は広がり、つながり、背後の空間をあらわにする。
数分のうちに、布は姿を変える。作家の筆致はない。表面のかたちは腐食のかたち。縮れ、広がり、不揃いな縁。そして、見るべきものがほとんど何も残らない時点が来る。
作品を所蔵するテートは、1959年から手がけた酸の絵画についてのメッツガーの言葉を引く。カンヴァスを破壊すれば、かたちが生まれる。この一文が方法を要約している。破壊は消去ではない。描くためのひとつの方法。
テートは最初の公開デモンストレーションを1960年としている。美術館が所蔵するのは再制作で、2004年に、そして2015年にふたたびつくられた。素材の一覧は素っ気ない。ガラス、布、テーブル、ゴミ袋、紙、プラスチック、鋼。出来事のあとに残ったものまでが、作品に属している。
爆弾に抗する芸術
グスタフ・メッツガーは1926年、ポーランド系ユダヤ人の家庭にニュルンベルクで生まれた。1939年、少年のときにイギリスへ連れてこられた。生涯の大半をロンドンで暮らし、制作した。
テートによれば、彼は1960年代初め、政治的な抗議として自己破壊芸術という考えを打ち出した。核兵器に、そして冷戦の絶え間ない不安に抗して。数分で自らを消し去りうる世界には、破壊を正面から見つめる芸術が必要だった。
メッツガーはいくつもの宣言文を書いた。いくつかの原則が際立つ。作品は二十年のうちに無へ還るべきこと。いったんはじまれば、過程は作家なしに続くこと。そして作品は、ひとりの買い手の私有ではなく、公共の空間に属すること。1962年、彼はこの考えを雑誌「Ark」に発表したエッセイ「Machine, Auto-creative and Auto-destructive Art」にまとめた。
これらの原則は、美術市場が必要とするすべてに逆らう。長くもち、署名があり、転売できる物に。
形をつくる方法としての破壊
メッツガーはひとりではなかった。1960年、ジャン・ティンゲリーは観客の前で自らを壊すためにつくった機械「Hommage à New York」を組み立てた。1966年、ロンドンの Destruction in Art Symposium で、ジョン・レイサムは本を積んだ塔を燃やし、それを「Skoob Towers」と呼んだ。books を逆さに綴った名。
メッツガーのナイロンには、別の静けさがある。爆発も、機械もない。液体と、布と、化学反応にかかる時間だけ。観客は、何かがゆっくりと、ほとんど静かに消えていくのを見る。
だからこの話は、破壊についてだけのものではない。酸は酸のやり方で働く。繊維の厚み、枠の張り、液の量のあいだに、自分の道を見つける。作家がはじめ、素材がかたちを決める。メッツガーは仕事の大半を物質そのものに委ねる。
消えたものを、ふたたびつくる
この作品を美術館が所蔵することには、ひとつの逆説がある。自己破壊芸術は、保存できないものとして構想された。それがいまでは、収蔵番号をもち、カタログに載り、テート・ブリテンに展示の場所をもっている。
再制作は、この逆説に正直に答える。もとの布であるふりはしない。残っているのが再演と、そのあとの残骸であることを認める。保存されているのは物ではなく、ひとつの身ぶり。
日ごとに色を変えるアーニャ・ガラッチオのチョコレートの壁のように、メッツガーの作品は、物は変わりつつあるときこそもっとも生きていると思い出させる。それを前にした観客は、作品が何であるかを問わない。何になりつつあるかを問う。