エッセイ · 近代美術

アンリ・マティス(Henri Matisse)。「The Snail」。

Henri Matisse. The Snail.

殻を捨て、渦を残す。

アンリ・マティス「The Snail」:緑、橙、青、黄、藤色の切り紙が白地の上に渦を描いて並ぶ

Tate · Tate



色の中へじかに描く

1948年以降、体の不調のためにアンリ・マティスはイーゼルの前に立てなくなった。多くの時間をベッドで過ごした。油彩をやめた。代わりに、あらかじめ鮮やかなグアッシュで塗った紙から形を切り、あるいはちぎった。フランス語で gouaches découpées、切り紙のグアッシュと呼ばれる。

マティスはこの技法を、1947年に出版した絵本「Jazz」ですでに試していた。晩年にはそれが主な道となり、ヴァンスのロザリオ礼拝堂の装飾と並んだ。

理由の説明はごく簡潔だった。紙を切ることで、色の中で描けた。まず輪郭を引き、それから色で埋め、互いが互いを変えていく、という手順はもういらない。鋏はじかに色の中へ入り、切ることがそのまま描くことだった。彼にとってそれは単純化だった。

「The Snail」のように、後期の切り紙のいくつかはとても大きい。この作品は縦横ともにほぼ2.9メートル。立った人の背より高い。

マティスの秘書リディア・デレクトルスカヤ(Lydia Delectorskaya)は、のちにテートへ手紙を書き、制作の様子を伝えた。「The Snail」は、マティスが晩年を過ごしたニースのオテル・レジーナでつくられた。

マティスの手元にはいつも、助手たちがグアッシュで塗った紙があった。切り紙に使うすべての色がそろっていた。彼が指定した寸法の白い紙の地が壁に貼られた。マティスは一片ずつ切って助手に渡し、置くべき場所を正確に示した。助手はそれを地にピンで留めた。

マティスが構成を完成と判断すると、断片は軽く貼りつけられた。次の作品のために壁が必要になると、パネルは下ろされた。デレクトルスカヤによれば、この作品に下絵はなかった。

作品はそれからパリのルフェーヴル・フォワネ(Lefebvre-Foinet)に送られ、カンヴァスに裏打ちされた。何かを動かす前に、構成全体がきわめて精密に写し取られた。どの断片も1ミリたりともずれないように。

本物のカタツムリから渦へ

マティスの娘デュテュイ夫人(Madame Duthuit)によれば、父は当時カタツムリの素描を数多く描き、大作の着想はそこから育った。マティスは作家アンドレ・ヴェルデ(André Verdet)に、カタツムリを二本の指でつまみ、何度も何度も描き、やがてほどけていく動きに気づいたと語っている。

「The Snail」の中にカタツムリはいない。あるのは互いにつながり、貝殻のように中心のまわりを巻く色の断片だけ。中央の形は同心円の模様をなし、殻の渦をこだまさせる。

マティスは補色を隣り合わせた。赤と緑、橙と青、黄と藤色。それぞれが相手をいっそう明るくする。ペンで描いた曲線はひとつもないのに、結果は振動する面になる。

デレクトルスカヤは、題名は色の断片がカタツムリの殻のように巻く形から来ており、殻の渦は宇宙の運動の方向をこだまさせていると書いた。だからこの作品はまったく抽象ではない。だが抽象として見たい人のために、マティスは別の題も選んでいた。La Composition Chromatique、色彩の構成。

抽象にもっとも近いもの

テートの目録は「The Snail」を、マティスの全作品のなかでもっとも抽象に近いもののひとつと呼ぶ。それは目を引く。マティスは生涯を、人物、室内、窓、花とともに過ごしたからだ。80代になって、小さくゆっくりした一匹の生き物から、彼はかつてなく具象の縁に近づいた。

その少しあと、彼はカタツムリの素描をもとに霊廟の鉄の門もデザインした。ただし実現はしなかった。

テートは1962年、作家の息子ジャン・マティス(Jean Matisse)から、テート・ギャラリー友の会の助けを得て「The Snail」を購入した。それ以前、作品はマティス晩年の切り紙グアッシュの展覧会とともに、ベルン、アムステルダム、パリ、ニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコを巡っていた。

今日その前に立てば、紙の切り口と刷毛で塗ったグアッシュが見える。ニースの一室での仕事の日々の痕跡だ。もう立てなくなった男が、なお色で描く道を見つけていた。まったく違う道筋で、純粋な色だけで絵画は成り立つと信じたモンドリアンと同じように。