エッセイ · 現代アート
ヒト・シュタイエル(Hito Steyerl)「How Not to Be Seen: A Fucking Didactic Educational .MOV File」
Hito Steyerl. How Not to Be Seen: A Fucking Didactic Educational .MOV File.
像を残さずに、そこにあるものがある。
Tate · Tate
16分間のレッスン
「How Not to Be Seen: A Fucking Didactic Educational .MOV File」は、ヒト・シュタイエルが2013年に制作したHDビデオだ。彼女のギャラリーは、長さを15分52秒としている。テートのコレクションに収蔵され、テート・モダンの展示「Performer and Participant」で上映された。
タイトルが、トーンのほとんどを担っている。.MOVファイル、どのコンピューターでもおなじみの動画形式。教材。そしてその真ん中に落とされた罵り言葉。役に立たないとわかっている講義を書く人の、ため息のように。
シュタイエルは1966年にミュンヘンで生まれ、ベルリンに暮らす。映像をつくり、文章を書く。どちらも同じ問いのまわりをめぐる。今日の経済と政治の中で、像はどう働くのか。著作では「貧しい像」、つまり圧縮され、複製され、ウェブを流通する画像を、固有の生を持つ像として擁護してきた。
「How Not to Be Seen」は、反対の方向へ行く。像がどこへ行くかは問わない。どうすれば像にならずにいられるかを問う。
砂漠、グリーンスクリーン、ピクセル
映像は奇妙な場所から始まる。砂漠の解像度チャート。上空から撮影するカメラを試験するために、地面に描かれた四角や線だ。そこは、像の鮮明さが測られる場所。シュタイエルは、まさにその場所を選んで、消え方を教える。
レッスンはいくつかのパートに分かれ、平板な合成音声で読み上げられる。カメラから隠れる。人目につく場所で隠れる。絵になる。ピクセルより小さくなる。人々がグリーンスクリーンの前に立ち、キーで抜かれて画面から消え、何もない地面が残る。訓練用の映像のように真面目な部分もあれば、コントのように進む部分もある。
ユーモアは、シュタイエルが問いを聞きとりやすくするための方法だ。問いそのものは笑えない。衛星は、ますます高い解像度で地上を撮影する。カメラはどこにでもある。誰が見られ、誰が見過ごされ、誰が消されるのか。それは技術ではなく、権力の問題だ。
映像は、隠れたいと願うずっと前から見えない存在だった人々がいることを示唆する。書類のない人、数に入れられない人、記録もなく消える人。彼らにとって、見られないことは技術ではない。境遇だ。
フレームの外
10年以上たったいまもこの作品が真実でありつづけるのは、出口を示さないからだ。どのレッスンも、本当にはうまくいかない。消える方法はどれも、別の像へと戻っていく。グリーンスクリーンに隠れれば、エフェクトになる。群衆に隠れれば、データになる。
シュタイエルは、のちの作品でもこの問いを追った。「Factory of the Sun」では、人々がビデオゲームの中で光に変えられる。「How Not to Be Seen」では、問いはまだもっとも単純な形にある。ひとりの人、一台のカメラ、そして放っておいてほしいという願い。
見終えたあと、身のまわりの見慣れたカメラが違って見える。テーブルの上の電話。スーパーマーケットの天井の黒いドーム。地図に映る、自分の家の屋根の衛星写真。
おそらくこの映像の唯一のレッスンは、見えないことが贅沢になったということだ。そしてまだフレームから逃れるもの、隣の部屋の声、戸口から漂ってくる匂いは、いっそう貴重になる。