エッセイ · 嗅覚アート

オノレ・ドーミエ(Honoré Daumier)「L'Odorat」

Honoré Daumier. L'Odorat.

植木鉢は、都会に住む人の庭のすべて。

オノレ・ドーミエ「Types Parisiens」より「L'Odorat」。窓辺で鉢植えの花に身をかがめ、匂いを嗅ぐ男の石版画

The Art Institute of Chicago、Carter H. Harrison 夫妻コレクション · The Art Institute of Chicago



一人の男、一つの窓台、五つの鉢

版画の題は「L'Odorat」、つまり「嗅覚」。オノレ・ドーミエがパリにいるさまざまな人の型を描いた石版画シリーズ「Types Parisiens」の第38図である。

場面は簡素だ。帽子をかぶった男が窓辺に立ち、鉢植えの花に身をかがめて匂いを嗅いでいる。窓台には鉢が五つ。左には鳥籠が宙に吊られ、右にはフックから水差しが下がる。ほかには誰もいない。通りも、人混みもない。

シカゴ美術館によれば、白いウーヴ紙に黒で刷られた石版画で、裏面には活版印刷がある。画面はおよそ20×23 cm。裏に刷られた文字は、この紙がかつて新聞の一面だったことを教える。十九世紀のパリの人々は、ニュースや広告や噂話と一緒にこれを手にしていた。

制作年は資料によって異なる。シカゴ美術館は1839年とする。メトロポリタン美術館は、「L'Odorat」が1843年1月18日に『Le Charivari』に掲載されたと記録している。どちらも「Types Parisiens」が刊行された1839年から1843年のあいだに収まる。

ドーミエと、パリの人々の型

オノレ・ドーミエは1808年にマルセイユで生まれ、1879年に没した。ほぼ生涯を通じて石版画を手がけ、その図像の多くは新聞に載った。『Le Charivari』はパリの風刺日刊紙で、毎号一面大の石版画を載せていた。

1830年代初め、ドーミエは政治風刺画を描き、国王ルイ・フィリップを嘲った一枚のために投獄された。1835年の検閲法で政治的な図像への統制が強まると、風刺新聞は日常生活へと向きを変え、ドーミエもそれに従った。彼は弁護士、医者、海水浴客、借家人、新聞を読む人を描いた。

「Types Parisiens」はそうしたシリーズのひとつで、約五十枚からなる。一枚ごとに、ある種類の人や都会の習慣を描く。五感を主題にしたものもあり、「L'Odorat」と「Le Goût」はその中に入る。

五感はヨーロッパ版画の古い主題だった。十六世紀から、フランドルの版画家たちは堂々とした人物、花、香水瓶によって嗅覚を擬人化した連作をつくった。ドーミエは主題を残し、儀式を捨てた。彼の嗅覚は、植木鉢のそばのごく普通の男だ。

都会に住む人の嗅覚

ドーミエが記録するのは花の匂いではなく、その乏しさだ。1830年代から1840年代のパリは、人が密集し、湿っぽく、不快な匂いに満ちていた。鉢が五つ並ぶ窓台は、多くの人にとって庭にいちばん近いものだった。

だから身をかがめた姿は、おかしくもあり、胸を打ちもする。おかしいのは、男がこれほど小さなものに没頭しているから。胸を打つのは、その没頭ゆえだ。ドーミエは戯画化するが、軽蔑はしない。都会に住む人を、いくらかの愛情をもって見ている。

男のまわりの物も、それぞれの話をする。鳥籠は、屋内に閉じこめられたもうひとつの自然だ。フックの水差しは日々の道具。部屋は豊かではないが、誰かが手入れをしている。そこにある物はすべて匂いをもつ。版画は黒いインクだけだというのに。

この版画が記憶に値するのは、嗅覚を寓意から取り出し、暮らしの中に置いたからだ。女神も、紋章もない。一人の男、一つの窓台、一つの植木鉢、そして嗅ぐこともまた都会で生きるひとつの方法だという考えだけ。その年ページをめくった読者は、そこに自分を見て、たぶん微笑んだ。