エッセイ · 嗅覚アート
ジュゼペ・デ・リベーラ(Jusepe de Ribera)。「Boy with a Pot of Flowers. The Sense of Smell」。
Jusepe de Ribera. Boy with a Pot of Flowers. The Sense of Smell.
香りを抱く者は、それを嗅がなくてもいい。ただそこに立つだけ。
Nasjonalmuseet for kunst, arkitektur og design · Nasjonalmuseet(ノルウェー)
少年と、土の鉢
背景はほとんど黒。闇の中から、胸の高さまでの少年が現れる。短い黒髪。はだけた、皺の寄った白い襟。その上に茶色の胴着。片方の袖は裏地まで擦り切れている。
少年は、耳のついた厚手のクリーム色の土鉢を抱えている。そこに白地に筋の入ったチューリップが数本、その上に小さな黄色い花がいくつか。片手が鉢を支える。細い指、浮き出た関節。
光は左から差し、顔、袖、鉢の縁に落ちる。残りは影に沈む。部屋も、家具も、周りの物語もない。ひとりの人と、ひとつの物。
カンヴァスに油彩、高さ60 cm、幅は45 cmをわずかに超える。1637年ごろの作。オスロの Nasjonalmuseet が「Boy with a Pot of Flowers. The Sense of Smell」として所蔵する。ノルウェー語では「Ung gutt med blomsterkrukke. Luktesansen」。
誰が描いたのか
美術館はジュゼペ・デ・リベーラを挙げる。スペインに生まれ、生涯の大半をナポリで過ごした画家だ。だが記録はさらに続く。「羊飼いの礼拝の画家(Master of the Adoration of the Shepherds)」と呼ばれる無名の画家への仮説的な帰属を加え、伝統的にこの絵と結びつけられてきたアニエッロ・ファルコーネ(Aniello Falcone)の名にも触れ、その伝統は誤りだったと記している。
一枚の画布に三つの名。17世紀のナポリ絵画ではよくあることだ。リベーラの周りで多くの若い画家が彼の作風で描いていた。暗い地、硬い光、街から連れてきたモデル。美術館は三つの可能性をすべて記録に残している。
この絵はひとりの蒐集家を通じてノルウェーに来た。クリスチャン・ランゴール(Christian Langaard)がコレクションを美術館に遺贈し、絵は1923年に収蔵された。いまはランゴール・コレクションのための部屋に掛かっている。
Penta にとって、描き手の問題は作品を損なわない。少年はいまもそこにいる。鉢もそこにある。ラベルの名は変わるかもしれない。絵の中にあるものは変わらない。
擦り切れた袖の嗅覚
五感は16世紀から17世紀のヨーロッパ絵画でなじみの主題だった。ふつう、それぞれの感覚は寓意の人物として描かれた。美しい若い女性、神、豪華な衣装、象徴的な物。
リベーラは別の道を行った。1615年ごろのローマで、彼は五感の連作を、街の群衆から取った普通の半身像として描いた。その連作の「嗅覚」は、玉ねぎを手にした貧しい男で、目を潤ませ、前にはにんにくと一輪の花がある。そこでの匂いは美しくない。鋭く、本物で、涙を誘う。
オスロの絵は、その精神をより穏やかに引き継ぐ。嗅覚はもはや女神ではない。擦り切れた袖の少年だ。花売りかもしれないし、街で雇われたモデルかもしれない。美しさは鉢にある。真実は袖と、細い手にある。
花の選び方は興味深い。チューリップは香りよりも色と形で愛される花だ。同じころオランダでは、チューリップの球根が驚くほどの値で取引されていた。それなのに、ここではチューリップが嗅覚を担う。画家は花だけでなく、鉢全体を思っていたのかもしれない。湿った土、葉、花びら、土器、そしてそれを抱く者のぬくもり。
同時代のフランドルの画家たちも嗅覚を描いた。多くは花盛りの庭全体として。プラド美術館がかつて本物の香りで再現した、ブリューゲルとルーベンスの絵のように。オスロの絵は逆の道を行く。庭も、神々もない。子どもが運べるほど小さな鉢がひとつあるだけ。