エッセイ · 嗅覚アート

ヤン・ソウデック(Jan Saudek)。「My Country in Summertime」。

Jan Saudek. My Country in Summertime.

写真は無音。その題には匂いがある。

ヤン・ソウデック「My Country in Summertime」:モノクロのゼラチン・シルバー・プリント、1975年

The Art Institute of Chicago、Charles and Ruth Levy Foundation Fund · The Art Institute of Chicago



長い題をもつ写真

1975年、チェコの写真家ヤン・ソウデックはゼラチン・シルバー・プリントを一枚焼き、写真にふつう許されるよりずっと長い題を付けた。「My Country in Summertime」、そのあとに二つの匂いを名指す一文が続く。熱い線路。そして干し草の温かい香り。

シカゴ美術館によれば、画面は約26.8×35.1 cm、横位置で、より大きな台紙に貼られている。美術館は Charles and Ruth Levy Foundation Fund を通じてこれを収蔵した。

題は二つの部分からなる。ひとつめは場所と季節。夏のわたしの国。ふたつめは二つの匂い。人の名も、村の名も、正確な日付もない。写真はふつう、見えるものにちなんで名づけられる。ソウデックはこの一枚を、嗅がれるものにちなんで名づけた。

このエッセイは、枠のなかにあるものを詳しくは描写しない。Penta が見つめたいのは、像と言葉の関係。無音の写真と、ある正午の熱と湿気と匂いを運ぶ題。

プラハのソウデック

ヤン・ソウデックは1935年にプラハに生まれた。1950年から1952年まで同地で工業写真を学び、その後は生活のためにさまざまな仕事をしながら、私的に写真を撮りつづけた。

1963年、友人が彼に『The Family of Man』を貸した。名高い写真展の図録である。彼は深く心を動かされた。それ以来、人間の条件をめぐる写真をつくりたいと願い、同じ年に展示を始めた。

1969年、インディアナでの展覧会のためにアメリカへ渡った。その旅が、シカゴ美術館の写真キュレーター、ヒュー・エドワーズ(Hugh Edwards)との出会いにつながり、エドワーズは彼に続けるよう励ました。シカゴとの縁はそこから始まった。

1970年代から、ソウデックは崩れかけた壁のある地下室で、演出した写真を数多く撮った。その壁は彼のもっともよく知られた背景になった。けれどもこの1975年のプリントは、題によって外を向いている。季節へ、ひとつづきの土地へ、一本の線路へ。

1975年のチェコスロヴァキアは共産党の支配下にあり、国外への旅は制限されていた。その状況で、My Country という言葉は小さな細部ではない。自分の属する場所を名づけるひとつのやり方である。

ひとつの夏の、二つの匂い

熱い線路の匂いは、ごく具体的だ。日なたの鋼、グリース、そして腐らないようにふつうタール油をしみ込ませた木の枕木。暑さのなかで、その油が立ちのぼる。夏の昼に線路沿いを歩いたことのある人なら知っている。鋭く、重く、少し煙たい。

干し草は反対の端にある。草は刈られ、寝かされ、ゆっくりと水分を失い、甘く温かい匂いを放つ。その甘さの多くはクマリンによる。多くの草に含まれ、乾くにつれて放たれる化合物だ。

並べると、二つの匂いは二十世紀半ばの田園の小さな絵になる。機械と畑。牧草地を走る鉄道。鉄と草の両方でできた夏。何年ものち、別の作家が古い木の匂いを鋼の匂いの隣に置き、故郷とは何かを問うことになる。ソウデックに必要だったのは、一行の文だけだった。

モノクロのプリントは、干し草の黄色も鋼の熱も見せられない。あるのは灰色だけ。題がその隙間を埋める。写真の前に立つと、見る者はすでに知っている匂いを、ほとんど思わず付け加えてしまう。

だからこの写真は心に残る。ソウデックは、写真がめったに認めないことを示す。像だけでは、ひとつの場所を留めておけない。故郷の記憶はしばしば、目より先に鼻を通っていく。