エッセイ · 近代美術
ヤニス・クネリス(Jannis Kounellis)。「Untitled」。
Jannis Kounellis. Untitled.
絵具のない絵。
Tate · Tate
二本の柱、四本の横木、いくらかの羊毛
作品は斜めに立ち、壁にもたれている。二本の木の支柱が四本の横木を支える。横木には、梳かれず紡がれていない羊毛の束がゆるく掛かっている。大部分は象牙色の白のまま。いくつかの束は淡い青にごく薄く染められ、色がしみ込んだばかりのように見える。
額縁はない。台座もない。展示時の高さは約二メートル半、幅は三メートル近いのに、奥行きはわずか四十五センチほど。張られたカンヴァスのように薄い。ただし、まだ織られていないカンヴァスだ。
ヤニス・クネリスは1968年にローマでこれをつくった。題は「Untitled」以外にない。テートは1996年にこれを購入し、以来作品は旅をしてきた。テート・モダン、ローマでのアルベルト・ブッリをめぐる展覧会、そして2022年から2023年にかけてのクネリス回顧展の際のミネアポリスのウォーカー・アート・センターとメキシコシティのフメックス美術館。
その前に立つと、見る者はどこを見ればよいのか、少し戸惑う。木を見るのか、羊毛を見るのか、横木のあいだからのぞく壁を見るのか。
絵画を離れる
クネリスはギリシャに生まれ、1956年にイタリアへ渡った。1960年代の終わりには、貴重な素材から貧しい日常の素材へと向かったイタリアの作家たち、アルテ・ポーヴェラの中心人物のひとりになっていた。この作品をつくったとき、彼はすでに絵を描くことをやめていた。
彼の素材は石炭、鉄、石、土、サボテン、木、火になった。ときには生きた動物も。1967年、ローマのラッティコ画廊で、彼は自分のオウムを作品に入れた。1969年には同じ画廊に十二頭の馬を連れ込んだ。その話は Penta がラッティコの十二頭の馬をめぐるエッセイで語っている。羊毛も同じリストに属する。美しさのためではなく、本物で簡素だから選ばれた。
アルテ・ポーヴェラの名づけ親である批評家ジェルマーノ・チェラント(Germano Celant)は、クネリスにおけるこの転換を、美術の書き言葉から物質の言葉への移行と述べた。物について語る代わりに、作品は物をそこに在らせる。見る者は読む必要がない。出会うのだ。
彼の素材を歴史を通して読む者もいる。羊毛、石炭、木、馬は、古い文明の、古代ギリシャや中世の交易と牧畜の基本的な資源だった。その読み方では、作品は一直線に前を見ていない。進歩が輪であるかのように、ぐるりと戻ってくる。
羊毛のポロック
何年ものち、クネリスはテートのキュレーターたちに意外なことを語った。この作品は一部、ジャクソン・ポロックの「Blue Poles: Number 11, 1952」への応答としてつくられたという。いまキャンベラのオーストラリア国立美術館にある作品だ。
ポロックのカンヴァスでは、滴らせた絵具の層を青い柱が斜めに貫いている。クネリスでは、描かれた柱の代わりに本物の木の柱が立つ。青と白の羊毛がほぐされ、垂れるままにされて、滴りを模す。もう描かないと言った男が、物から組み立て直した抽象画。
その細部が作品を変える。それはもはや羊毛を掛けた棚だけではない。平面を離れ、部屋へ歩み入り、疲れた人のように壁にもたれかかった絵なのだ。
羊毛を替えなければならないとき
羊毛は羊毛なりに生きている。埃をため、へたり、時とともにもつれる。テート・モダンで2001年に開かれた、1962年から1972年のアルテ・ポーヴェラの展覧会「Zero to Infinity」の前に、クネリスは自らこの作品に手を入れた。もつれた羊毛を取り除き、新しい羊毛を入れた。
油彩画は同じままであるように保存される。ここでは、作品を保つとはその一部を取り替えることだ。かたちは残り、考えは残る。けれども今日見える繊維は、すべてが1968年の繊維ではない。
だからこそ、覚えておく価値があるのかもしれない。作品は永遠であるふりをしない。素材には命があり、みずみずしいときも、くたびれたときもあると認める。そして作家は、それに抗うのではなく、素材の側に立つことを選んだ。