エッセイ · 現代アート

ジェレミー・デラー(Jeremy Deller)。「The Battle of Orgreave」。

Jeremy Deller. The Battle of Orgreave.

記憶を抱える人たちが、もう一度演じる記憶。

ジェレミー・デラー「The Battle of Orgreave」:オーグリーヴの野原で炭鉱労働者と警察の衝突を再演する参加者たち

提供:Artangel · Artangel



ある六月の一日、二度

1984年6月18日、イギリスの大規模な炭鉱ストライキのさなか、サウス・ヨークシャーのオーグリーヴにあるコークス工場に、ピケ隊が大勢集まった。工場からコークスが運び出されるのを止めようとしていた。警察も大規模に出動していた。その日は、この時期でもっとも激しい衝突のひとつとなった。馬、警棒、負傷、逮捕。

十七年後の2001年6月17日、近くの野原が再び人で埋まった。800人以上が参加した。多くは1984年にそこにいた元炭鉱労働者だった。同じくそこにいた元警察官も数人いた。残りはイングランド各地の歴史再演団体から来た人たちで、甲冑を身につけ、中世や内戦の戦いを再演することに慣れた人々だった。

発案はジェレミー・デラー。現場の演出を率いたのは、再演の専門家で、イングリッシュ・ヘリテッジのイベント部門の元責任者ハワード・ジャイルズ(Howard Giles)。制作は Artangel。

混沌を演出する

デラーはこの企画を、本質的に混沌だったものの再現と表現した。その言葉が難しさを言い当てている。昔の合戦には陣形と秩序がある。ピケ隊と警察の衝突にはそれがない。押し寄せ、退き、また突進する。

それを演出するには、そこにいた人たちに尋ねるしかない。誰がどこに立っていたか。馬がいつ突進したか。群衆がどちらへ走ったか。準備はまた、ひとつの側だけでない証言を集めることでもあった。

立ち止まるに値する細部がひとつある。同じ野原に、その年ストライキをしていた男たちと、警察の制服を着ていた男たちがいた。ひとつの記憶の両側が、再び近くに立った。それがどう感じられたかを、作品は何も説明しない。けれど、それが起きたという事実が、すでにひとつの問いである。

再演は観客の前で行われた。ほとんど村祭りのように。野原にいた人たちは、自分たちが何を再演しているのかを知っていた。

野原から画面へ

映画監督マイク・フィギス(Mike Figgis)が出来事の全体を撮影した。Artangel Media と Channel 4 が制作した映画は、2002年10月20日に放送された。再演と当事者の証言を並べ、見る人が演技とその背後にある本当の傷の両方を見られるようにした。

2002年、デラーは本「The English Civil War: Part II」も出版した。この題名は、彼が1984年をどう見ていたかを示す。騒乱ではなく、国の内部の争い。ほかの内戦と並べて記録するに値するもの。

作品はいま The Artangel Collection に収められている。2013年にジョン・ハンサード・ギャラリーで、2015年にモダン・アート・オックスフォードとテート・ブリテンで展示された。

誰の記憶か

歴史はたいてい、もっとも大きな声によって語られる。新聞、国家、夜のニュース。オーグリーヴは、公式の説明と当事者の記憶が遠く離れたままの出来事である。

デラーは反論を書かなかった。出来事を、それを抱える人たちの手に返した。六月の日差しのなか、もう一度その地に立ち、かつての足取りをたどらせた。

パフォーマンスと呼ぶこともできる。石のない記念碑と呼ぶこともできる。作品を長く残るものにしているのは、過去を閉じさせないことだ。まだ温かく、まだ争われ、生き延びるにはまだ人の身体を必要とする、集団の記憶を見せる。

クリスチャン・ボルタンスキーのLes Archives du Cœurのような、ほかの記憶のアーカイブと同じく、「The Battle of Orgreave」がとどめているのは出来事ではない。人である。