エッセイ · 嗅覚アート

ジュール・シェレ(Jules Chéret)、ウジェーヌ・リンメル(Eugène Rimmel)のために「Rimmel almanac」

Jules Chéret for Eugène Rimmel. Rimmel almanac.

詩と刷られた色で香りが語られる、小さな暦。

ジュール・シェレ「Rimmel almanac 1874」:ファウストとマルガレーテを描いた、小さな多色石版の暦の表紙

© Victoria and Albert Museum, London; Philip Ward-Jackson 寄贈 · Victoria and Albert Museum (V&A)



小さな暦の四つの場面

この暦は1874年、ウジェーヌ・リンメルの香水店のためにフランスでつくられた。描いたのはジュール・シェレ。とても小さい。高さ9 cm、幅6.3 cm。手のひらほど、チョッキのポケットほどの大きさ。文章は英語とフランス語の二か国語で刷られている。

所蔵するヴィクトリア・アンド・アルバート博物館によれば、暦にはヨーロッパ文学からとった四つの多色石版の場面がある。表にはゲーテによるファウストとマルガレーテ。表紙の裏にはウーラントによる「The Bard's Curse」。裏表紙の内側にはハイネによる「Lurline」。裏にはフライリヒラートによる「The Flower's Revenge」。

2024年、フィリップ・ウォード=ジャクソン(Philip Ward Jackson)の寄贈で V&A に入った。版画・素描コレクションに収められ、エフェメラとして目録に載る。短いあいだ使って捨てるために刷られたのに、なぜか残されたもの。

その残存こそが、見るに値する理由。一年使うために刷られた物が、一世紀半ののちも無傷でいる。

ジュール・シェレは1836年に生まれ、1932年に没した。19世紀後半のパリの壁を覆った鮮やかな色のポスターで記憶され、しばしば近代ポスターの創始者のひとりとされる。けれどその道は、ひとつの香水店を通っていた。

1860年代、シェレはロンドンに住み、リンメルのためにパッケージをデザインした。リンメルは彼の後援者となり、パリに商業石版の工房を開く資金を出した。そこでの最初の大きな成功が、1866年のポスター「La Biche au Bois」だった。

パリのブリュネル通りにあったシェレの印刷所は、リンメルのために大量の広告を刷った。ラベル、パッケージ、暦、小冊子。リンメルの暦の多くに彼の刷り元の名がある。1874年の暦もそのひとつ。

つまり、ポスターに踊り子や舞踏会を描くより前に、シェレは調香師のための小さな物で仕事を覚えた。香りは近代広告グラフィックの最初の顧客のひとつだった。

ラベルとしての文学

なぜファウスト、ウーラント、ハイネ、フライリヒラートなのか。当時ヨーロッパじゅうの教養ある読者になじみの名だったからだ。それを暦に載せることは、受けとる人に、リンメルの香りは本や詩や劇場と同じ世界に属すると告げた。

四つの物語はどれも、どこか暗さを帯びている。ファウストは魂を売る。吟遊詩人は呪われる。ルアラインは舟を沈めるライン川の精。そしてフライリヒラートの詩では、眠る少女の寝台のそばに置かれた切り花が、自らの香りで復讐する。香水を宣伝する暦が、花の香りが害をなす話で終わる。大胆な選択であり、遊び心のある選択でもある。

これは今日の広告とはまるで違う。何も約束しない。何がどう匂うかも言わない。ただ調香師の名を良い物語の隣に置き、読む人に二つを結びつけさせる。

暦が大切である理由

リンメルについての研究は、この店の暦が色刷りで、香りづけされていたと記している。V&A の一冊に今も香りの痕跡が残るかどうかはわからない。けれど考えははっきりしている。紙は眺める像であると同時に、嗅ぐ物でもあった。持ち主が日付を確かめようと開くたびに、贈り主の香りがそこにあった。

この暦はまた、グラフィックの歴史のひとつの時点を示す。多色石版は急速に進歩しており、リンメルのような商人がその実験に資金を出した。香りという見えないものが、像の技術を育てる助けとなった。

その六年前、リンメルは別の紙の物に名を記していた。ゲイエティ劇場の初日のためのプログラム扇、リンメルのプログラム扇。扇は劇場に、暦はポケットに住んだ。どちらも、香りが店を出て人についていくための方法だった。

9センチの暦、四つの物語、一年。そしてページのあいだのどこかに、飛び去った香りの痕跡。