エッセイ · 嗅覚アート

ウジェーヌ・リンメル(Eugène Rimmel)「Rimmel's programme fan」

Eugène Rimmel. Rimmel's programme fan.

上演はとうに終わった。扇はいまもその空気を抱いている。

ウジェーヌ・リンメル「Rimmel's programme fan」:ゲイエティ劇場のプログラムとアプリコット色の繊細な女性像が刷られた、開いた紙の扇

© Victoria and Albert Museum, London; Gabrielle Enthoven Collection · Victoria and Albert Museum (V&A)



扇に刷られたプログラム

扇は1868年にロンドンで、印刷した紙と木でつくられた。閉じると高さ23.5 cm、厚さ2 cm足らず。開くと43 cmに広がる。ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の演劇・パフォーマンス・コレクションに属し、ガブリエル・エンサヴェン・コレクションの一部である。

表には、再建されたゲイエティ劇場の初日、1868年12月21日のプログラムが刷られている。演目は三つ。W・S・ギルバートの「Robert Le Diable」、E・ジョナス作曲、ギルバート・アベケットの英語詞によるオペレッタ「The Two Harlequins」、そして喜劇「On the Cards」。配役とクレジットが紙面を埋め、その両脇にアプリコット色の細い線で描かれた女性たちが並ぶ。

裏はリンメルの香水店の広告。ここでも両端に女性の姿があり、今度は淡い緑。両面の縁には同じ一対の言葉が走る。左に「Rimmel's Programme Fan」、右に「Gaiety Theatre Strand」。

つまりこの扇は、プログラムであり、広告であり、使うための物でもある。観客はそれを手に配役を読み、混み合う客席で涼をとり、記念に持ち帰った。

ストランドの初日

ゲイエティ劇場は、ロンドンの劇場街の中心、ストランドにあった。扇は、再建を経て劇場が再び開いた夜を記念してつくられた。

主演目、ギルバートの「Robert Le Diable」は、マイアベーアの同名オペラのパロディで、副題は「The Nun, the Dun, and the Son of a Gun」。ギルバートの詞には、マイアベーア、オッフェンバックら当時の作曲家の曲があてられた。軽く、速く、言葉遊びに満ちている。初日にふさわしい。

V&A によれば、この機会にリンメルの香水店が用意したのは扇だけではなかった。劇場のロビーには香りの噴水も置かれた。観客は香りの漂う空気の中を通って入り、リンメルの扇を手に席に着いた。

ウジェーヌ・リンメルは1820年に生まれ、1887年に没した。フランスからイギリスに渡り、1834年、父とともにロンドンで香水の商いを始めた。その名はいまも化粧品ブランドに残るが、19世紀の彼はまず調香師であり、香りを人々の前に差し出すことに長けた人だった。

香りの噴水はゲイエティが初めてではなかった。1851年のロンドン万国博覧会で、リンメルの噴水は香水を噴き上げ、訪れた人々はハンカチを差し出して香りを持ち帰った。噴水はのちにダブリンやニューヨークの博覧会へも旅した。

リンメルは、女性がオペラや芝居、バレエに持っていく香りの扇もつくった。1860年代半ばには香水の歴史書「Book of Perfumes」を書き、リージェント・ストリートに店を開いた。香りは瓶の中だけに住むのではない、と彼はわかっていた。部屋に、人混みに、人が覚えている特別な機会に住む。

ゲイエティの扇は、その考えが出会う場所にある。読むための印刷物であり、香りをつけられた空気の中で手に持つ物でもある。

なぜこの扇が大切なのか

1868年12月21日の香りは消えた。ゲイエティのロビーの噴水を、もう誰も嗅ぐことはできない。残っているのは、紙、木、印刷、アプリコットと淡い緑の線画。扇は、その夜に匂いがあったこと、そしてその匂いが上演の一部として整えられていたことの証拠である。

扇はまた、香りがどのように劇場に入ったかも示している。舞台の上ではなく、ロビーと観客の手の中に。香りは芝居の物語を語らなかった。光が舞台を囲むように、それを囲んだ。

6年後、リンメルは別の印刷物に名を載せる。ジュール・シェレが描いた小さな暦、「Rimmel almanac 1874」。扇と暦、二つの紙の物、その背後にひとりの男。どちらも、人が手に取り、裏返し、しまっておく物を通して香りを考える調香師の姿を示している。

いま、扇は演劇のコレクションの中でたたまれて眠っている。開けば、配役はまだ読める。空気だけが去った。