エッセイ · 嗅覚アート
カイ・アルトホフ(Kai Althoff)。「and then leave me to the common swifts(und dann überlasst mich den Mauerseglern)」。
Kai Althoff. and then leave me to the common swifts (und dann überlasst mich den Mauerseglern).
布の下に吊るされた、ひとつの人生。それ自身の匂いとともに。
カイ・アルトホフ「and then leave me to the common swifts」、2016年 · ArtReview
白いテントの下の連なる部屋
2016年9月18日から2017年1月22日まで、ニューヨーク近代美術館はドイツの作家カイ・アルトホフに一続きの展示室を委ねた。企画は絵画・彫刻部門のキュレーター、ローラ・ホプトマン(Laura Hoptman)と、キュレーター補佐のマーガレット・ユーイング(Margaret Ewing)。
アルトホフは、美術館の見慣れた白い壁に作品を掛けなかった。白い布を張ってつながったテントにし、別々の部屋をひとつの連続した空間に変えた。中には自立する壁、茶色の紙に包まれたままの作品を積んだ棚、そしてヴィトリーヌ。
ヴィトリーヌの中には、香水瓶、羽根のボア、人形、レース。ある一角には、焼け焦げた中欧の村のジオラマが、破れた布張りの家具の傍らに。
アルトホフが作曲した音楽が背景で静かに流れていた。そして空間全体に、これも作家がつくった甘い香水が漂っていた。来場者は最初の絵をよく見る前に、それを嗅いだ。
子ども時代からいままで
作品はアルトホフのごく若いころから近年にまで及んだ。紙とカンヴァスの絵画と素描、あらゆる大きさで。かつての大きな環境作品の断片、拾った物、つくった物もあった。
絵の中の人物は時代の外にいるように見える。両性具有の人々、ハシディズムのユダヤ人、ヴィルヘルム時代のドイツの学生、田舎の若者。エミール・ノルデ、エゴン・シーレ、アンドレ・トムキンスの残響が感じられる。入口近くには「Ich bins」、つまり「私だ」と書かれた絵が掛かっていた。
ArtReview で批評家ジョシュア・マック(Joshua Mack)は、あまりに多くて誰もすべては見られないと書いた。それも狙いの一部かもしれない。ひとつの人生を丸ごと見ることはできない。
題名そのものが、終わらない文だ。「and then leave me to the common swifts」(そして私をアマツバメたちに委ねてくれ)。ドイツ語で Mauersegler と呼ばれるこの鳥は、生涯のほとんどを空で過ごし、めったに地上に降りない。題名は、自分がつくったものを残して飛び去りたい人の言葉のように読める。
署名としての匂い
アルトホフは長く、異なる素材と形式を組み合わせて、すべてを包み込む環境をつくってきた。精緻な素描、コラージュ、テキスタイル、ソフト・スカルプチャー、絵画、文章、映像、歌、そして香り。MoMA で、すべてを結びつけていたのは匂いだった。
絵は一か所にとどまる。ヴィトリーヌも一か所にとどまる。音楽はもっと遠くまで届くが、音源がある。匂いは方向を持たず、同時にどこにでもある。人形、焼けた村、学校の絵という、まるで違う物を、同じひとりのものにする。
甘い香水は個人的なものだ。しばしば特定の誰かに結びつく。母、祖母、かつての恋人。展覧会のために香りをつくることで、アルトホフは部屋に彼自身の匂いのようなものを与えた。来場者は彼の絵を見ただけではない。彼の空気の中に立っていた。
匂いで人を描くことには、嗅覚アートの中に固有の歴史がある。クララ・ウルシッティの「Self Portrait in Scent」のように。アルトホフは自分の展覧会を肖像とは呼ばなかった。だが部屋を出るとき、来場者は多くの絵を忘れるかもしれない。甘い匂いは通りまでついてくるかもしれない。