エッセイ · 写真
ルイジ・ギッリ「Kodachrome」
Luigi Ghirri. Kodachrome.
撮る前から、世界はすでに一枚の絵。
Matthew Marks Gallery · Matthew Marks Gallery
小さなカラーの本
1978年、イタリア。わずかな予算で、一冊のカラー写真集が出た。粗く安い紙、百ページほど。なかに92枚の写真。題は「Kodachrome」。コダックのカラースライドフィルムの名だ。
撮ったのはルイジ・ギッリ。版元は Punto e Virgola。1977年にギッリと妻パオラ・ボルゴンゾーニ・ギッリが立ち上げた出版社だ。「Kodachrome」はその最初の出版物であり、ギッリの最初の本。彼は自ら出版した。
写真は1970年代に撮られた。大半はイタリア、一部はフランスとスイス。モデナ、ボローニャ、パリ、ヴェルサイユ、ルツェルン。名所はない。街角、壁、店先、人のいない浜辺だけ。
像に覆われた世界
一見、ギッリの写真は静かだ。淡い色、率直な構図、多くの余白。よく見ると、ほとんどどの一枚も、内側に別の像を抱えている。
風景を刷った看板が、本物の風景の前に立つ。地図が、それが描く土地の代わりに壁に掛かる。窓が空を映す。半分破れたポスターの下から、古いポスターがのぞく。「Kodachrome」の世界は手つかずの自然ではない。何度も刷られ、貼られ、塗られ、描き重ねられてきた世界だ。
ギッリはそれらを嘲るために撮るのではない。近代の風景の本当の一部として観察する。1970年代のヨーロッパでは、広告、看板、絵はがきがすでに日常を覆っていた。人々は木々のあいだに暮らすように、そのあいだに暮らしていた。ギッリはただ枠をあてた。すると見る者は、見慣れすぎて気づかなくなっていたものを、不意に見た。
結果は、おかしくて少し悲しい。場所とその像のあいだの隔たりを示し、その隔たりが縮んでいくことを示す。
選択としての色
1970年代、カラー写真はまだ広告や家族のスナップのものと見られがちだった。多くの人にとって、真剣な芸術写真とは白黒のことだった。色を選び、大衆向けフィルムの名を本に付けること。それはひとつの表明だった。
ギッリは写真をきれいにするために色を使ったのではない。色は、彼が観察する世界の素材だった。ポスターの色、塗られた壁の色、店の看板の色。白黒にすれば、見せたかったその層そのものが消えてしまう。
だから「Kodachrome」は、しばしばカラー写真の宣言と呼ばれる。色は飾りだけではなく、言語になりうると示している。
本が戻ってきた理由
「Kodachrome」は長く絶版だった。2012年、ギッリの死から二十年後、MACK が複製版として再刊した。同じデザイン、同じ文字組、同じ順序。ただしギッリのオリジナルフィルムから新たにスキャンした。新版には、フランチェスコ・ザノットのエッセイを収めた小冊子と、原文のフランス語訳・ドイツ語訳が加えられた。
2013年、ニューヨークの Matthew Marks Gallery が、このシリーズのヴィンテージ・カラープリントを展示した。3月6日から4月20日まで。自国の世代のカラー写真家に慣れたアメリカの観客は、ヨーロッパにあったもうひとつの道を見ることができた。
同じころ、大西洋の向こうでは、スティーブン・ショアがアメリカのありふれた通りをカラーで撮っていた。二人は同じことをしたわけではない。けれど、ひとつの信念を共有していた。ありふれたものも、十分に近くで見れば、写真になるに足りる。
「Kodachrome」は思い出させる。カメラを構える前から、私たちの暮らす世界はすでに一枚の絵だと。写真家の仕事は、それに気づくこと。