エッセイ · 嗅覚アート

マーレト・アンネ・サーラ(Máret Ánne Sara)。「Gutted / Gávogálši」。

Máret Ánne Sara. Gutted / Gávogálši.

頭が理解する前に、腹が知っている。

マーレト・アンネ・サーラ「Gutted / Gávogálši」:2022年ヴェネツィア、サーミ館の天井から吊るされた、乾燥したトナカイの胃の彫刻

Máret Ánne Sara, Gutted / Gávogálši(部分), 2022. 撮影:Michael Miller / OCA · ArtReview



名を改めたパビリオン

2022年、第59回ヴェネツィア・ビエンナーレで、ジャルディーニの北欧館はサーミ館になった。サーミは、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北部とロシアの一部にまたがる土地の先住民族である。ビエンナーレで彼ら自身の名を冠した空間を持ったのは、これが初めてだった。

招かれた作家は三人。マーレト・アンネ・サーラ、パウリーナ・フェオドロフ、アンデシュ・スンナ。キュレーターはリーサ=ラーヴナ・フィンボグ、カチャ・ガルシア=アントン、ベアスカ・ニッラス。フェオドロフはサーミの土地への環境破壊を記録した。スンナは、家族の五十年にわたる法廷闘争をめぐる五枚組のフリーズをつくった。

サーラがそこで見せた作品は、英語で「Gutted」、北サーミ語で「Gávogálši」と呼ばれる。英語の gutted は、はらわたを抜かれたという意味と、打ちのめされたという意味をあわせ持つ。

乾いた胃、吊るされて

主な素材はトナカイの胃だ。薄く暗い殻のように乾かされ、表面はやわらかく毛羽立っている。そこにトナカイの腱が添えられる。胃はほとんど見えない糸で天井から吊るされ、宙に浮かぶ菌類のような形をつくる。

遠くからは植物かきのこ、ただ育っただけの何かに見えるかもしれない。近づくと、動物の臓器だ。内にあるべきものが、いまは外に、皆の前に吊るされている。

サーラはトナカイを飼う家族に育った。サーミの牧夫にとって、動物のどの部分も無駄にはならない。肉、皮、骨、腱、角、胃、すべてに使い道がある。彼女の作品は、牧畜と、素材を与えてくれた動物たちに敬意を払う。サステナビリティという言葉よりはるかに古い、資源の倫理である。

恐れを語るためにつくられた匂い

作品の二つ目の部分は空気のなかにある。サーラの協力者が、部屋を満たす刺激的な匂いをつくった。その年、訪れる人はまだマスクをつけなければならなかったが、匂いはそれでも通り抜けた。ArtReview によれば、それは恐れを、そして希望をも表すよう設計されていた。

その選択は意図的だ。サーミの思考は、腹の感覚とでも呼べるもの、本能で知ることを重んじる。パビリオンを組織したノルウェー現代アート局(Office for Contemporary Art Norway)の説明では、この作品における胃は、世界の出来事に体が最初に反応する場所であり、人間とトナカイと他の生命をつなぐ、もうひとつの知性である。

匂いと胃は同じことをする。理性を迂回する。私たちは恐れようと決めるのではない。先に腹がこわばる。嗅ごうと決めるのでもない。鼻はすでに受け取っている。サーラは訪れた人をその位置に置き、説明される前に何かを感じさせる。

源のある恐れ

部屋の恐れは抽象的なものではない。何年も前、サーラは「Pile o' Sápmi Supreme」で知られるようになった。弾丸に撃ち抜かれた400頭のトナカイの頭をサーミの旗の形に並べたカーテンで、家族の群れに対して国が命じた間引きへの抗議だった。

多くのサーミが、牧畜の権利を守るために法廷に立たなければならなかった。OCA によれば、「Gutted」の胃のひとつひとつは、サーラ家が経験してきた争いに責任を負う一人の人物を表している。こうして彼女はトラウマを、それを引き起こした者たちへ送り返し、自らをそこから解き放つ。

三年後、サーラはトナカイと匂いを、テート・モダンのヒュンダイ・コミッションではるかに大きな規模で扱った。ヴェネツィアでは、すべてがまだ小さくまとまっていた。いくつかの乾いた胃、少しの腱、そしてマスクを通り抜ける匂い。頭より先に腹で理解されるには、それで足りた。