エッセイ · 嗅覚アート
「Turba Tol Hol-Hol Tol」
Turba Tol Hol-Hol Tol.
泥炭は一年に1ミリ。湿地はとてもゆっくりしたノートだ。
暗闇の中の八人
2022年、第59回ヴェネチア・ビエンナーレに、チリは絵画も彫刻も持ち込まなかった。持ち込んだのは湿地。館の名は「Turba Tol Hol-Hol Tol」。Turba はスペイン語で泥炭。残りはティエラ・デル・フエゴの先住民の言葉、セルクナム語。チームによれば、Hol-Hol Tol は、人の心は泥炭でできている、という意味だ。
一度に入れるのは八人、十五分間。部屋は暗い。足もとにはミズゴケの厚い絨毯。周囲で水が滴る。ゆっくりと、絶え間なく。壁沿いには赤いプラスチックのコンテナが積まれ、研究所の倉庫のようだった。
最初に届いたのは匂いだった。濡れた苔の、青く湿った匂い。生きた植物であり、同時に朽ちた葉でもある。目が暗さに慣れるより先に、鼻はもう、ここが別の場所だと知っていた。
上方の高い台には、半透明のスクリーンが吊られていた。映し出されるのは、南米大陸の南端に広がる泥炭地。広く、低く、水に満ちている。音が来場者を包む。音楽に自然の音、ささやき、息づかいが混ざる。
一人の作家ではなく、コレクティブ
「Turba Tol Hol-Hol Tol」は、リサーチ・コレクティブ、エンサヨス(Ensayos)のプロジェクト。立ち上げたのは、チリ系アメリカ人のインディペンデント・キュレーター、カミラ・マランビオ(Camila Marambio)。エンサヨスは長年、広大な泥炭湿地の地、ティエラ・デル・フエゴのカルキンカで活動してきた。
館のチームは多くの分野にまたがる。サウンド・アーティストのアリエル・ブスタマンテ(Ariel Bustamante)、美術史家のカルラ・マッキアヴェッロ(Carla Macchiavello)、映画作家のドミンガ・ソトマヨール(Dominga Sotomayor)、建築家のアルフレド・ティールマン(Alfredo Thiermann)、生態学者のバルバラ・サアベドラ(Bárbara Saavedra)、そしてセルクナムの作家、エマニ・モリナ(Hema'ny Molina)。
モリナがいることには意味がある。19世紀末から20世紀初めにかけてティエラ・デル・フエゴで起きた殺戮と追放のあと、セルクナムは長く絶滅したと語られてきた。館にセルクナム語の名を付けることは、その言葉がまだここにあると告げる。そして、誰かがあの土地を心として抱いていると。
スクリーンにも物語がある。藻類、コラーゲン、酢酸からつくられた、布やプラスチックの代わりの生体膜。The Brooklyn Rail の評者は、最初はその質感が気になったという。だがそれも、環境負荷の低い素材への同じ姿勢の一部として読んだ。チームはプロジェクトの炭素排出量も算出し、リサイクル業者と協働した。
泥炭が保つもの
泥炭地が地表に占める割合は小さい。それでも陸上で最大の炭素の貯蔵庫であり、森林よりも多くを抱える。農地のために排水され、燃料のために掘られると、その炭素は温室効果ガスとして放たれる。
泥炭は一年におよそ1ミリ育つ。だから1メートルは、ほぼ千年にあたる。中には花粉、種子、昆虫、過去の気候と生命の痕跡。科学者は泥炭をアーカイブとして読む。
館はこれらの事実を図表で見せなかった。来場者を湿地の条件の中に置いた。暗く、湿り、足もとは柔らかく、水の音がする。理解はまず体から来た。言葉はあとから。
レビューは小さな細部をひとつ指摘している。ミズゴケはティエラ・デル・フエゴのものではなく、ドイツの農場から来たものだった。本物の湿地を地球の反対側からヴェネチアまで運んだ者はいない。届いたのは、その感触と、その匂い。
遅さのレッスン
ビエンナーレは、大きく、明るく、騒がしい作品の場だ。この館は逆を行った。一度に少ない人。わずかな光。長い静止。
八人で十五分、苔の上で水の音を聴く。アートフェアの速さより、湿地の速さに近い。来場者は作品を通り過ぎなかった。しばらく、その中にとどまった。
湿地に匂いで近づいたのは、エンサヨスだけではない。二年後のニューヨークで、ガラ・ポラス=キムはユカタンの湿地の粘土を、暑く湿った部屋に持ち込んだ。「The motion of an alluvial record」。どちらの作品も、湿地が空っぽではないことを示す。多くを抱えている。そして、遅さによって抱えている。