エッセイ · 近代美術
マーク・ロスコ(Mark Rothko)。「Rothko Chapel」。
Mark Rothko. Rothko Chapel.
立ち止まるための部屋。
Rothko Chapel · Rothko Chapel
十四点の絵、ひとつの部屋
ロスコ・チャペルはテキサス州ヒューストンにある礼拝堂で、特定の信仰に属さない。1964年、コレクターのジョンとドミニク・ド・メニル夫妻が、この街のための聖なる空間をマーク・ロスコに依頼した。開館は1971年。建築家はフィリップ・ジョンソン、ハワード・バーンストーン、ユージン・オーブリー。
内部にはロスコの大きな絵が十四点ある。七点は、深いえんじ色の地に硬い縁の黒い長方形。残る七点は、ごく静かに色調を変える紫の色面。ロスコは二年以上をかけて制作と試行を重ね、1967年に連作を仕上げた。
部屋は八角形で、絵は壁をめぐるように掛けられ、光は上から降りてくる。ロスコにとって自然光は大切だった。昼の光だけが、彼のパレットの幅すべてを見せることができた。黒とは言いきれない黒、壁に溶けこみそうな紫。
パトロンと画家
構想はひとつの旅から始まった。1952年の夏、ド・メニル夫妻はフランスの教会を訪ねた。フェルナン・レジェとアンリ・マティスが最良の仕事のいくつかを残した教会、そしてル・コルビュジエがロンシャンに礼拝堂を建てようとしていた土地。ドミニク・ド・メニルはのちに、そこで見たものをこう振り返った。自由を与えられた巨匠が、宗教建築に何をなしうるか。
夫妻がロスコを選んだのは、1950年代末に彼がニューヨークのレストラン、フォー・シーズンズのために描いた絵、シーグラム壁画を見たあとだった。1966年に夫妻へ宛てた手紙で、ロスコは、この仕事の大きさは想像していたすべてを超え、自分にできると思っていた以上のところへ自分を押しやっている、と書いた。
ロシアに生まれたロスコは、20世紀半ばのアメリカを代表する画家のひとりだ。抽象表現主義やカラーフィールド・ペインティングに位置づけられることが多いが、本人はどちらの呼び名も一貫して拒んだ。1970年、チャペルに絵が設置されるのを見ることなく亡くなった。
あらゆる信仰のための場所
ドミニク・ド・メニルは、ひとつの宗教の枠組みを押しつけることなく、聖なるものへ向かう礼拝堂を望んだ。ここには多くの伝統の聖典が置かれている。聖書、クルアーン、バガヴァッド・ギーター、ホルデ・アヴェスター。世界中から、あらゆる信仰をもつ人がおよそ十万人、毎年訪れる。
外の水盤の上には、バーネット・ニューマンの「Broken Obelisk」が立つ。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師に捧げられた作品だ。その来歴は平穏なものではない。1969年、ド・メニル夫妻は、ヒューストン市がこの彫刻を購入し、市庁舎の近くに置いて、暗殺されたばかりの公民権運動の指導者に捧げられるよう援助を申し出た。市は資金を受け入れたが、献呈は拒んだ。夫妻は申し出を取り下げ、自ら作品を買い取り、チャペルの前に据えて、1971年の開館の際にキングに捧げた。
それ以来、チャペルは静けさの場所であると同時に、集いの場所でもある。人々はひとりで座るために、そして正義について語るためにやって来る。二つは矛盾しない。どちらも、立ち止まることから始まる。
水が入ってきたとき
空の光で生きる部屋は、その空を引き受けなければならない。2024年7月、ハリケーン・ベリルの豪雨と強風で、チャペルの屋根から雨漏りが起きた。水は天井の一部、いくつかの壁、そしてロスコのパネル四点を傷めた。
チャペルはその年の7月から12月まで閉館した。被害を受けたパネルは修復のため館外の施設へ運ばれ、修復家ウィッテン&プロクター(Whitten & Proctor)が作業を率いた。2024年12月17日、チャペルは東壁の三連画を欠いたまま再開した。
その欠落もまた、何かを教えているのかもしれない。ロスコの絵はいつも、部屋を、光を、十分に長くとどまる人を必要としていた。一部が欠けても、部屋はまだそこにあり、まだ静かで、まだ待っている。