エッセイ · 現代アート
マイケル・ランディ(Michael Landy)「Break Down」
Michael Landy. Break Down.
ひとつの人生を一点ずつ数え、そして消す。
提供:Artangel · Artangel
空の店、仮設の工場
2001年2月、ロンドンのオックスフォード・ストリートにあるかつての C&A 百貨店が、ふたたび開いた。何かを売るためではない。2月10日から24日まで、そこはたったひとつの作品のためにつくられた素材再生工場となった。
中央には長さ100メートルのコンベヤーが走り、黄色いトレイを運んだ。トレイには、美術家マイケル・ランディの持ち物が載っていた。そのすべてが。
ランディと、彼が弟子と呼んだ12人の作業員は、二週間働いた。一点ずつ分解され、壊され、パルプにされ、粒にされた。通りがかりの人は中に入って眺めることができた。
タイトルの Break Down には、壊す、崩れる、そして部分に分けて分析する、という意味がある。その部屋には、三つの意味がすべてあった。
数えるための一年
作品のもっとも目に見えない部分に、もっとも長い時間がかかった。何かを壊す前に、ランディは一年をかけて、所有するすべての物の目録をつくった。数は7,227点になった。
彼はそれらを分類した。美術作品、衣類、機材、家具、台所、余暇、自動車、生鮮品、読み物、アトリエの材料。一点ごとに固有のコードがつき、倉庫の在庫のように記録された。
自動車の分類には、ひとつだけ項目があった。チェリーレッドのサーブ900。それもほかの物と同じように分解された。
美術作品も容赦されなかった。例外はない。例外があれば、作品はもう全体ではなくなる。目録は、引き出しのいちばん小さな物まで、すべてを数えたときにだけ意味をもつ。
所有することの代価
オックスフォード・ストリートは、ヨーロッパでもっとも賑わう買い物通りのひとつだ。そこに、それもかつての衣料品店に作品を置いたのは、はっきりとした選択だった。外では人々が買っていた。中では一人の男が、これまでに買ったすべてを手放していた。
それでも「Break Down」は消費についての説教ではない。壁にスローガンはない。あるのは止まらないベルト、黄色いトレイ、シュレッダーの音だけ。
来場者は自分で比べた。コート、台所の何か、一冊の本。流れていく物を見ながら、自分の家にはこういう物がいくつあるだろう、と考えた。数えるのにどれほどかかるだろう、と。
一年後の2002年、目録の全体が一冊の本として出版された。物はもうない。そのリストが残る。
何も残らないとき
十四日目の終わり、ランディは何も持っていなかった。それが作品の終わりであり、作品が残す問いだった。持ち物のない人間とは何か。
人は物ではない、と答えることもできる。作品は、それほど単純ではないことを示す。物は記憶を、関係を、仕事を、習慣を抱えている。一通の手紙は友人を留める。一着のコートはひとつの季節を留める。それらを失うことは、記憶を失うことではない。記憶がすがりつく場所を失うことだ。
「Break Down」が私たちのなかに残るのは、多くの人が引っ越しのときに一瞬だけ考えることを、実際にやってのけたからだ。最後まで、公の場で、体系的に。
カラ・ウォーカーの砂糖の彫刻のように、短く存在して消えるほかの作品と同じく、「Break Down」のあとに残るのは物ではない。立ち止まって見ていた人々の記憶だ。