エッセイ · 嗅覚アート

ルネ・ラリック、コティのために「Cyclamen」

René Lalique for Coty. Cyclamen.

一枚のガラスの肌に、ふたつの名。

ルネ・ラリック、コティのための香水瓶「Cyclamen」。古色をほどこしたプレス成形と型吹きのガラス

© Victoria and Albert Museum, London、Sir Claude Phillips 遺贈 · Victoria and Albert Museum (V&A)



高さ14 cmの瓶

「Cyclamen」は、1909年にルネ・ラリックが香水メゾン、コティのためにデザインした香水瓶。高さ14 cm。プレス成形と型吹きのガラスで、表面には古色がほどこされ、光のなかでレリーフがはっきり読める。

ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館にある瓶は、フランス、セーヌ=エ=マルヌ県のコンブ=ラ=ヴィル(Combs la Ville)のガラス工場で作られた。1924年、サー・クロード・フィリップスの遺贈によって博物館に入り、館のガラス・ギャラリーに展示されている。

博物館は、ガラスに型押しされた三行を記録している。Coty Paris、Lalique Deposé、そして Cyclamen Coty Paris。香りの名、香水メゾンの名、デザイナーの名。三つすべてがひとつの表面にある。

シクラメンは花の名。けれども瓶の上では、まずひとつの言葉である。ケースの前に立つと、どんな匂いだったのかを何も知らないうちに、香りの名を読んでいる。

香りを作る者が、瓶を作る者に出会う

V&A によれば、化粧品メーカーであり調香師でもあったフランソワ・コティが、初めてラリックに香水瓶のデザインを依頼したのは1908年。その協働から最初に生まれたデザインが「Cyclamen」だった。最初の瓶は、フランスの老舗ガラス工房のひとつ、バカラで作られた。

その頃ラリックは、すでにアール・ヌーヴォーの宝飾で名を知られていた。手に持たれ、ごく近くで見られる小さな物に慣れていた。香水瓶が求めるのは、まさにその種の注意である。テーブルの上の物。毎日手に取られ、回され、開けられる。

協働はあまりにうまくいき、ラリックは仕事の進路を変えた。1908年の秋、彼はコンパニー・ジェネラル・デレクトリシテのコンブ=ラ=ヴィルのガラス工場を借りた。1913年にはそれを買い取った。宝飾家がガラスの製造者になった。香水瓶が、新しい仕事への扉だった。

型と複製

プレス成形と型吹きのガラスには、決定的な特徴がひとつある。ひとつの型から同じ瓶がいくつも生まれる。一人のために一度だけ作られる宝石ではない。複製されるデザインであり、「Cyclamen」を買った誰もが同じ瓶を手にした。

だから「Cyclamen」は、ガラスのデザイナーと香水メゾンとの新しい協働の最初の一歩のひとつとして、しばしば名を挙げられる。瓶はもはや、既製品として買われる汎用のフラスコではなかった。ひとつの香りのためにデザインされ、その香りの名を身に帯び、量産された。

見るべき細部は古色である。くぼみを暗くし、盛り上がった部分に光をとらえさせる。量産された瓶でも、丹念に仕上げられた物の奥行きを保っている。近くで見ると、目は中身のことを考える前に、表面にとどまる。

なぜ「Cyclamen」は残るのか

1909年のコティの「Cyclamen」を、最初の日のままにかぐことは誰にもできない。香水は蒸発し、変わり、涸れる。けれども瓶はロンドンのガラスケースに残り、その側面には香りの名が型押しされている。

それが「Cyclamen」をありふれたフラスコから分かつもの。香りの容れ物が、それ自体ひとつの作品として読めることを示している。作者があり、年代があり、作られた場所がある。人は瓶を通して香りを覚え、名を通して瓶を覚える。

20年後も、ラリックは香水メゾンのために瓶を作っていた。けれどもその頃には、瓶は収める以上のことをしはじめていた。続きはモリナールのためのアトマイザー「Calendal」で。そこでは容れ物が香りを保つだけでなく、空中へ送り出す。