エッセイ · 現代アート

Susan Philipsz. War Damaged Musical Instruments.

楽器は壊れている。それでも息は通り抜ける。

Susan Philipsz「War Damaged Musical Instruments」。テート・ブリテンのサウンド作品とともに展示された、戦争で傷ついた金管楽器

Tate · Tate



14の楽器、ひとつの合図

2015年11月21日から2016年4月3日まで、テート・ブリテンのデュヴィーン・ギャラリーは音に明け渡された。空間を満たしたのは彫刻ではなく、ホールの端から端へと旅する音だった。

Susan Philipsz は、イギリスとドイツの金管楽器と木管楽器14点を録音した。どれも過去200年の紛争で傷ついたものだ。へこんだもの、穴のあいたもの、ほとんど見分けがつかないほど曲がったもの。いくつかは第一次世界大戦のものである。

音は、軍隊のラッパ信号「The Last Post」の音程をもとにしている。けれど信号はばらばらに解体され、ほとんど聞き分けられない。14の録音、14のチャンネル。テートはこの作品を14チャンネルのモノラル音声として所蔵している。

訪れた人はオーケストラを見なかった。ある方向から一音が届き、次に別のところからもう一音が届くのを聞いた。開けた土地をはさんで呼び交わす兵士たちのように。音と音のあいだには長い沈黙があった。その中で人々は待ち、そして、決して完全には届かない旋律を待っていることに気づいた。

楽器にまだできること

「The Last Post」には固有の歴史がある。かつては、はぐれた兵士や負傷した兵士に、基地へ戻っても安全だと知らせる合図だった。今日では、軍の葬儀や追悼式で最後の別れとして奏でられる。

Philipsz は、音楽をつくることよりも、これらの楽器がまだどんな音を出せるのかを知ることに関心があったと語った。たとえその音が、傷ついた胴を通り抜ける奏者の息だけだとしても。彼女の考えでは、どの録音も強い人間の存在を帯びている。

だから訪れた人が聞くのは完全な旋律ではない。途切れた音、かすれ、沈黙。ときには空気だけ。傷こそが、それぞれの音を固有のものにする。新しいビューグルは正しい音程で鳴る。戦争をくぐり抜けたビューグルは、耐えてきたものをそのまま鳴らす。

耳を澄ますと、この作品が勝利や英雄についてのものではないとわかる。最後の最後に残るものについての作品だ。形の崩れた物と、それでもそこへ息を通そうとする人。

建築の中を動く音

Philipsz は2010年、空間に置かれたサウンド作品でターナー賞を受賞した。テート・ブリテンでは、デュヴィーン・ギャラリーの建築とともに制作し、一方の端から他方の端へと旅する音の連なりを配した。ホールを歩くことは、その合図を追うことになる。

この場所には固有の記憶がある。テートによれば、美術館の敷地の一部は、かつて第一次世界大戦で負傷した兵士を治療した軍病院だった。この作品は、その戦争の100年を記念する芸術プログラムの一部だった。

楽器を見なくても、聞く人はその形を感じとる。途中で切れる音は穴を思わせる。かすれは押しつぶされた管を思わせる。音は、物の傷の描写になる。

テートは、この作品が、紛争と喪失が今日の世界にも存在することを思い出させるものでもあると記す。作品は高らかな音では終わらない。ひとつの息、そして沈黙で終わる。同じ種類の別の作品で、ジャネット・カーディフ (Janet Cardiff) は声で聞き手を街へと導く。どちらも、音が像よりも長く場所を抱きうることを知っている。