エッセイ · 嗅覚アート
タニア・ブルゲラ「10,148,451」
Tania Bruguera. 10,148,451.
涙は物語より先にやってくる。
撮影:Benedict Johnson · Tate
タイトルとしての数字
2018年10月2日から2019年2月24日まで、ロンドンのテート・モダンのタービン・ホールはタニア・ブルゲラのものだった。ヒュンダイ・コミッション。毎年ひとりの作家を招き、美術館の巨大なタービン・ホールのための作品を作ってもらう企画だ。
タイトルは数字で、その数字はじっとしていない。前年に国から国へ移住した人の数に、その年にこれまで記録された移民の死者数を加えたものだ。データは国際移住機関(IOM)の Missing Migrants Project による。データが更新されるたびに、タイトルが変わった。
だから作品の名は観念ではなく集計だ。会期中に増えていった。10月の来館者と2月の来館者は、同じタイトルの前に立ってはいなかった。
ブルゲラは1968年キューバ生まれ。パフォーマンス、インスタレーション、映像、特定の場所への介入で活動する作家であり、活動家だ。彼女は自らの実践を Arte Útil、役に立つ芸術と呼ぶ。見られるだけでなく、生のなかで何かをなすべき芸術。
体温で現れる顔
タービン・ホールに入ると、熱に反応する素材でできた広く暗い床があった。その上に立ったり横たわったりすると温かい跡が残り、ぬくもりが床の色を変えた。
暗い表面の下には、ロンドンに移り住んだシリアの青年、ユセフの肖像があった。ひとりでは小さな一片しか現せない。顔を見るには、多くの人が一緒に横たわり、背中と手を床に押しあて、十分に長くとどまらなければならなかった。
つまり、ひとりの見知らぬ人の顔は、ほかの見知らぬ人たちが力を合わせたときにだけ現れた。そして彼らが立ち上がると、すぐに消えた。
ホールには低周波の音もあった。旋律にはならなかった。耳で鳴るより胸で震え、空間を落ち着かないものにした。美術館は望む人に耳栓を配った。
人を泣かせる部屋
ホールの横に小さな部屋があった。空気中に散布された有機化合物が目を刺激し、涙を出させた。人々は入り、しばらくすると泣いた。
ブルゲラはこれを強いられた共感と呼んだ。とげのある言葉だ。共感は自発的なものとされる。話を聞き、理解し、心を動かされる。ここでは順序が逆になる。物語など何もないまま、体が先に反応する。原因が化学的でも、涙は本物だ。
この部屋は居心地の悪い問いを残す。空気中の何かで涙が生み出せるのなら、移民のニュースに流す涙はそれと違うのか。強いられたときにしか泣かないのなら、私たちの共感はどこにあるのか。
ここで空気と匂いが主な素材になる。ブルゲラは悲しみを描かない。来館者の肺のなかに入れる。
ホールを越える作品
「10,148,451」はタービン・ホールで終わらなかった。ブルゲラは、テート・モダンの郵便番号の地域に住む、あるいは働く21人と協働した。「Tate Neighbours」と呼ばれるグループだ。一年間、彼らは美術館のボイラー・ハウスを、地域の活動家ナタリー・ベルの名に改めた。美術館の無料 wifi のサインインページに載るマニフェストも書いた。
だから作品にはふたつの極があった。ひとつは、思い描くには大きすぎる世界規模の数字。もうひとつは、隣人たちの集まり、ひとつの名前、ひとつの wifi のページ。そのあいだに来館者の体が立つ。床の上のぬくもり、小さな部屋の涙。
ブルゲラは解決を示さない。数字と人とのあいだの距離を測り、来館者に自分の体でその距離に立たせる。空気と匂いが美術でどう使われるかに興味のある人は、Penta の嗅覚アートについてのエッセイへ。