エッセイ · 嗅覚アート
歌川国貞「Ka ni sasou haru no tsumeoto」
Utagawa Kunisada. Ka ni sasou haru no tsumeoto.
香りが先に来る。音楽があとに続く。
© Victoria and Albert Museum, London · Victoria and Albert Museum (V&A)
画帖の中の三枚続
この作品は1849年、江戸、今の東京で摺られた。三枚続で、浮世絵に多い縦長の大きな判型、大判の三枚からなる。横に並べると一つの続いた場面になる。技法は錦絵。色ごとに別の版木を使う多色摺りの木版画である。
三枚続は今、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館にある。美術館が購入し1879年に登録した版画の画帖に含まれている。江戸で摺られてわずか三十年で、ヨーロッパに届いていた。西洋の収集家が日本の版画を探し求めていた時代である。
作者は歌川国貞(1786年から1865年)。この揃物をつくった頃には江戸で最も多く出版された名の一つで、役者絵と美人画で知られ、師の名、豊国を継いでいた。
詩の一行のような題
日本語の題は Ka ni sasou haru no tsumeoto。美術館は英語で「the scent of spring bringing koto music」、箏の音を連れてくる春の香り、と訳している。
ゆっくり読むと、もっと多くが含まれている。Ka は香。Sasou は誘う、招く、導く。Haru は春。Tsumeoto は爪音。指先にはめて箏の弦をはじく小さな爪の音である。題は楽器を物として名指さない。指が弦にふれたときに生まれる音を名指す。
だから句全体が動きの連なりになる。香りが誘い、春が来て、指がはじき、音が鳴る。はっきりした人間の主語はない。先に動くのは香りだ。
浮世絵にはこうした題がよくある。描写的で、同時に遊び心がある。教養ある見る者がいくつもの意味を読めるように。ここでの遊びは、絵画が届かない二つの感覚を結ぶところにある。
版画が見せられない二つの感覚
版画には匂いも音もない。国貞の手にあったのは、彫られた線、色の面、三枚にわたる人物の配置。それでもこの作品は、その手の届かない二つのものにちなんで名づけられている。
江戸の文化では珍しいことではなかった。町の人々は絵を詩とともに読むことに慣れていた。花の枝を見てその匂いを思い、楽器を持つ人を見てその音を思う。絵は出発点だった。残りは見る者がもってきた。
日本で春の香りといえば梅の花だ。寒さの中で開く早い花で、歌では色よりも香りを讃えられてきた。題はどの花かを言わない。Penta はその余白を開けたままにしておく。
確かなのは、題が香りを音の前に置いていることだ。嗅覚がひらき、聴覚が続く。目のためだけにつくられた絵の中で、それは気にとめるに値する選択である。
この揃物が心に残る理由
国貞は何千枚もの版画を手がけた。その多くは役者、舞台の場面、美人を描く。この揃物は三つ目の群に属するが、題がそれを際立たせている。
十九世紀半ばの江戸で、香りは使われるだけのものではなかったことがわかる。広く売られる版画の題になるほどなじみがあり、音楽と組み合わされるほど洗練された主題だった。
今日、三枚続はロンドンの画帖の中で眠っている。香りもなく、音もない。あるのは題だけ。1849年に与えられた役目を今も果たしている。見る者に、自分で嗅ぎ、自分で聞くよう誘うこと。