エッセイ · 嗅覚アート
歌川国貞「Kō o hakobu neya karadaki」
Utagawa Kunisada. Kō o hakobu neya karadaki.
来ない人のために、香りで満たされた部屋。
© Victoria and Albert Museum, London · Victoria and Albert Museum (V&A)
画帖の中の一枚
この一枚は1852年、江戸で摺られた。大判の三枚続の右の一枚で、多色摺りの錦絵である。ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館はこれを画帖に収めて所蔵し、三枚続が揃っていないことを記録している。残りの二枚は一緒にない。
美術館はこの画帖を画商 S. M. Franck & Co. から購入し、1886年に登録した。記述は短い。室内で屏風のそばに立つ人物。
この一枚には「豊国画」、豊国が描く、と署名がある。歌川国貞が師の名を継いだのちの晩年に用いた名である。作品の題は赤い枠の中にある。その横には改印。江戸の出版統制のしるしで、この版画が販売を許されたことを示す。
題を一語ずつ読む
日本語の題は Kō o hakobu neya karadaki。美術館は英語で「heating incense in the bedroom in vain」、むなしく閨で香を焚く、と訳している。
ほどいていくと、小さな物語が現れる。Kō は香。Hakobu は運ぶ、持ってくる。Neya は閨、奥の私的な部屋。Karadaki は、空っぽ、うつろを意味する「空」と、燃やすことを表す字で書かれる。香は奥の部屋へ運ばれ、空へと燃えていく。
題は、誰が誰を待つのかを言わない。相手がなぜ来ないのかも言わない。ただ二つのものを並べる。心を尽くした支度と、何もない結果。
江戸の文化では、客が来る前に私室で香を焚くのはなじみの所作だった。着物、髪、灯りとともに、会うための支度の一部だった。題が「空」を加えると、所作の意味が変わる。それはもう支度ではない。待つことである。
屏風、部屋、立つ人物
屏風は浮世絵の室内によく描かれる物だ。空間を仕切り、一部を隠し、一部を見せる。屏風のそばの人物は、見えるものと隠れたものの境に立っている。
香りはその境を守らない。屏風は目をさえぎれても、煙はさえぎれない。部屋の片隅で焚かれた香は部屋をめぐり、隙間や紙を抜けて廊下へ出ていく。香が待つことにこれほど似合うのは、そのためかもしれない。待つ人はじっとしていなければならないのに、香りは誰かを探しに出ていく。
Penta は、この一枚が語らないことを推し量らない。待たれている人の顔も、理由も、結末もない。ひとりの人物、一つの屏風、一つの部屋、その上の題。残りは香りが語る。
この一枚が心に残る理由
香りの図像はふつう、それが受け取られる瞬間を描く。この一枚は逆だ。誰にも受け取られない香りを描いている。
江戸の香りが、短い題だけでひとつの状況を伝えられるほど明快な、情の言葉をもっていたことがうかがえる。1852年の買い手は karadaki という語を読み、何が起きているかをすぐに理解した。
今日、この一枚は別の意味でまだ待っている。三枚続の残りの二枚を待っている。屏風のそばの人物。一度も揃ったことのない場面の中で。